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梅園日記

柿木文字(○○○○) 白石先生の記に、かこみ一尺余も有つらん木の、半よりさけし所に、おのづから天下の字有お、人の見せたるに、是は柿にやといひしかば、かの人驚きて、いかに知給ひぬらん、是はある寺なる澀柿お切て、薪にせんとて割しに、此文字のあらはれしかば、めでたき物なりとて、薪にせで京より来りし也といふ、柿木にはかヽる事有よしお、ふるき書どもにしるし置侍るとあり、按ずるにふるき書とは、今物語に、ひえの山よかはに住ける僧のもとに、小法師の有けるが、坊の前に柿の木有けるお、切てたかんとて、いちのきれおわりたりける中に、くろみの有けるが、文字に似たりけるお、あやしと思ひて、坊主に見せたりければ、南無阿弥陀仏と雲文字にて有ける、ふしぎなどもいふばかりなし、沙石集に、〓養房といふ山寺法師、前栽に柿の木お植て、年来愛しけるが、他界の後、弟子の僧、此木お切て湯木にせんとてわりて見るに、文字の勢二寸ばかりにて、〓養房と文字あり、黒木の如くして、木の中にわれども〳〵同体にて有けり、谷響集に、客雲、拆木中有文字、嘗於勧修寺八幡神祠親見矣、或謂多是柿木也、〈◯中略〉物理小識に、柿木画皮生文、など見えたるおやいはれつらん、又いと近きは、友なる本間眠雲〈游清〉が鵜雅集に、文化十一年甲戌の春、伊予国大洲領宇和川村に、がら〳〵といふ処あり、畑中に大なる柿木有て、作物の障になれば、畑主其柿木お伐て、本の所お斧にて二つに割たるに文字あり、太王左月〈右傍は不分明のよし〉文字は濃藍の色にて、墨もて縁お双鉤したるが如し雲々とあり、又按ずるに、柿ならぬ他の木にも書画ありし事和漢の書に出たり、