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重修本草綱目啓蒙
二十五灌木
枸骨 ひいらぎ(○○○○)〈古名〉 ひらぎ(○○○) ひいら(○○○)土州 おにひらぎ(○○○○○)〈東国〉 お(○)にのめつき(○○○○○) おにしば(○○○○)〈防州〉 子ねずみさし(○○○○○)〈上総〉 一名枸骨刺〈本草〓言〉 貓刺〈通雅〉 貓頭刺 枸榾〈共同上〉 貓耳刺〈鎮江府志〉 貓児残〈先醒斎筆記〉 光菰櫪 極木〈共同上〉 鼠怕葉〈何氏集効方〉 十大功労葉〈同上〉山中に多し、人家にも栽ゆ、或は籬とす、葉は女貞葉(子ずみもちの)葉より小にして厚く、辺に大刻あり、其尖皆〓刺なり、冬お経て凋まず、九十月葉間に小白花お開く、香気あり、後小円実お結ぶ、熟して黒色、その木は白色にして細文ありて象牙の如し、旋して器物或は画軸とす、又葉辺に尖刺なき者あり、俗にめひらぎと雲ふ、故に尋常の者おおにひらぎと雲、然れども別物に非ず、一樹の中に刺なき葉雑り生ず、又別にめひらぎ(○○○○)と呼ぶ木あり、一名ほかのき、〈勢州〉かたざくら、〈阿州〉たも、〈摂州〉はあかのき、〈芸州〉ひがんぼく、〈但州〉うしぼつかう〈紀州〉葉は細長にして薄く辺刺多し、枸骨の類に非ず、漢名詳ならず、 増、一種ひらぎなんてん(○○○○○○○)と呼ものあり、形状南燭(なんてん)に似て、葉辺に枸骨(ひらぎ)の如き刺お生ず、其色紫色お帯ぶ、南燭の条にも載す、枸骨の類なるべし、 本邦の俗ひらぎに柊の字お用ゆ、城州下賀茂明神の社内に、柊の社と称するあり、人皇四十五代聖武天皇天平九年、痘瘡始て大に行はれ、天下死者甚多し、藤原淡海公の四子共にこれに薨ず、此時上下の賀茂の社へ御祈願ありしに、柊の祠に祈るべき神託あり、因て未だ痘おやまざる者多く、この祠に祈り、満願の後必ず一樹お祠前に栽ゆるに、悉く葉辺刺お生じて、枸骨の如に変ず、今に至て猶此の如し、一異と謂ふべし、