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重修本草綱目啓蒙
二十四喬木
梓 あづさ(○○○)〈和名抄〉 あかめがしは(○○○○○○)〈京〉 あかヾしは(○○○○○) ごさいば(○○○○)〈播州〉 あかごさいば(○○○○○○)〈筑前〉 しはぎ(○○○)〈阿州〉 かはらしば(○○○○○)〈阿州〉 かはらがし(○○○○○)〈予州〉 てうしのき(○○○○○)〈江州〉 あかべ(○○○)〈同上〉 めころび(○○○○)〈若州〉 かづ(○○)〈播州〉 ごしやば(○○○○)〈城州白川〉 あかヽぢ(○○○○)〈同上加茂〉 かいば(○○○)〈長州〉 たづは(○○○)〈泉州〉 さいもりば(○○○○○)〈越中〉 かはらがしは(○○○○○○)〈土州〉 梓又〓に作る、説文に出づ、山野に自生多し、大なる者は高さ二丈余、葉は三尖にして鋸歯あり、大さ三四寸、茎赤く互生す、其嫩芽甚赤して藜芽の如し、漸く長ずれば漸く緑色に変ず、故にあかめがしはと呼ぶ、夏月枝梢ごとに黄白色の花簇り、穂おなして開く、後実お結ぶ、大さ二三分、外に軟刺多し、秋に至て熟し自ら開く、内に黒子あり、椒目の如し、霜後葉枯る、梓楸の名古より混淆す、時珍の説も分明ならず、秘伝花鏡に梓の形状お書するも楸のことなり、故に大和本草にも梓おきさヾぎとす、皆非なり、通志略に、梓与楸自異、生子不生角と雲、是梓は円実お生じ、長策お生ぜざるお雲、この文甚明なり、宜しく従ふべし、 凡そ序文に上梓と雲は上木の意なり、梓に木王の一名ある故に、木工お梓人と雲、棺お梓官と雲の例なり、唐山にては梨棗お板材とす、故に上梨棗と雲、梨と棗と二物なり、梨棗と熟する時は枳〓(けんほなし)なり、 増、蘭山翁通志略の説に拠て、梓おあかめがしはとし、楸おきさヽぎとす、然れども斉民要術には、白色有角者為梓と雲へり、角は莢なり、是れきさヽぎお指す、即ち正説なり、又時珍の説お分明ならずとし、且秘伝花鏡に梓の形状お書するも、楸のことなり、故に大和本草に、梓おきさヽぎとす、皆非なりと雲は大なる誤なり、已に時珍の説に、木理白者為梓、赤者為楸と雲、その白者為梓と雲ふは、即きさヽぎにして、和名抄のあづさ是なり、又赤者為楸と雲は、即あかめがしはにして、和名抄のひさぎ是なり、楸の条にも楸即梓之赤者と雲へり、然る時は時珍の説は分明にして、蘭山翁の説分明ならざるなり、秘伝花鏡に梓お説くこと猶明なり、曰、梓一名木王、林中有梓樹、諸木皆内共葉、似梧桐、差小而無岐、春開紫白花、如帽極、其煉慢生莢、細如箸、長尺許、冬底葉落莢猶在樹と雲へり、故に和刻の花鏡にはきさヽぎと訓ず、然る時は大和本草の誤には非ず、又埤雅に、梓為百木長、故呼梓為木王、羅願が爾雅翼に、室屋之間有此木、則余木皆不震と雲文に小異あれども、釈名にもこれお引けり、震とは雷の落ることなり、左伝僖公十五年の杜註に、震者雷電擊之と雲是なり、国俗きさヽぎおらいでんぎり、又かみなりさヽげと呼て、庭際に栽て雷の難お避ると雲に暗合す、余、〈◯梯謙〉断然として梓おきさヽぎとし、楸おあかめがしはとす、後学旧説に泥むべからず、 集解、椅はいヽぎりなり、桐の類にして高く聳ゆ、葉の形あかめがしはの葉に似て微し円く、末尖る、葉の茎赤し、夏月枝梢に穂に成て黄白色の花お生ず、花謝して後円実お結ぶ、南燭の実より大にして連房長く下垂す、秋月落葉の後熟して深紅色、冬に至て猶樹上に在り甚だ観美なり、実の内に芥子の大さなる黒子あり、大和本草にけらの木と雲是なり、