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古今要覧稿
草木
竹 〈たけ〉竹の物にあらはれしは、天照大御神乃伊都の竹鞆おとりおはしてと〈古事記〉みえたるぞ初なるべき、〈◯中略〉名用(なよ)竹、名湯竹、細竹、目刺竹、宇恵竹、辟竹、打竹の名は、万葉集に出、河竹に川竹呉竹斑竹等の称は、延喜式にみえたり、その河竹に箸竹の字お塡めしは、和名抄に弁色立成お引、呉竹に笄竹の字、また於保多介に淡竹の字お塡めしは、同書に楊氏漢語抄お引るお始とす、〈◯中略〉扠西土の書に、たヾ竹と称するものは、即大小の通名なるは論なし、我古に竹とのみ称せしは、全く大なる物にして、篠と称するものは、即小なるものなり、故に小竹宮小竹祝小竹田の類は、皆その字の如くになるものなれども、竹林、竹屋、竹為筏類は、すべて大なる物おさしていふ、既に万葉集に刺竹宇恵竹辟竹の名ありといへども、其竹はかならず名湯竹細目竹おさしていへるにあらず、且刺竹宇恵竹は、原より一種の竹の名にあらざるによれば、名湯竹細目竹の外に、旧より別種の竹の大なるものありし也、されど今世のごとくに、それ〴〵の漢名お命じて、区別せしものにあらざれば、それおばすべて竹とのみ称し、或は刺竹宇恵竹などヽ歌にはよめるなるべし、また雄略天皇の御製に、木の根の根はふ宮、竹の根の根足宮といへる事みえたり、其木の根は小木根おさしていへるにあらざれば竹の根もまた小竹根にはあらざるべし、然るお或人の説に、皇朝自然生の竹は、すべて篠類にして、大竹は皆後世外国より持来れるが繁衍せしなりといへり、これは巍志倭人伝に、其竹篠簳桃支といへる文によりて、しかいへるなるべけれども、それは全く我産物の十が一お、おほよそに西土にて書しるせし物なれば、或は我海浜諸島上には、多く篠簳類の小竹お産するお見て、その一偏に拘はりて、さらに国中に大竹ある事おしらず、又は信濃加賀越前越後などの雪国には、古より今に至るまで、絶て大竹あることなし、たヾ熊笹須寿竹の類のみにして、出羽及び陸奥なども、南部領に至りては、生涯竹おみざる者あるよし、続東遊記にみえたり、これによれば皇朝といへども、竹は暖国の産にして、寒国には絶てなきもの、おそらくは西土の人、かかることお伝へ聞て、漫にその説おなせしもしるべからず、