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古事記伝
四十一
伊久美陀気淤斐(いくみだけおひ)は、伊(い)は伊理(いり)の理(り)お省けるなり、久美(くみ)は、師説に〈◯賀茂真淵〉久麻加斯(くまかし)の久麻(くま)とひとしくて、葉の繁ければ、隠(こも)り竹と雲お約めて、久美竹(くみだけ)と雲なりとあり、〈冠辞考さす竹の篠に見ゆ、其説の中に、(中略)伊お発語なりと雲はれたるもいかヾ、発語に伊と雲は用言に限れり、体言の頭に置る例なし、此の久美は本は用言なれども、久美竹と雲ときは、体言なれば、然るときに発語の伊お置ことはなきなり、〉又思ふに、物の彼と此と一に相交はる意にもあるべし、〈組と雲名も糸お相交へたるよしなり〉されば伊久美竹は、葉の茂くして、彼此相入交り合へるよしなるべし、〈俗言にも事の彼此と繁く雑り合お、入くむと雲も同言なり、契冲が、いくみ竹は、竹の名なりといへるはたがへり、一種の竹の名には非ず、たヾしげれるよしなり、〉淤斐は生なり、〈◯中略〉多斯美陀気淤斐は、師説に立繁竹生(たちしみたけおひ)なりとあり、〈冠辞考さす竹条に見ゆ〉立は生立るさまお雲るにて、万葉一〈二十三丁〉に、春山跡(はるやまと)、之美佐備立有(しみさびたてり)などもあり、立栄(たちさかゆる)の立も同じ、〈契冲がたしみ竹お、竹の名なりと雲るは違へり、〉さて上の伊久美竹と、此と二種には非ず、共にたヾ凡の竹の貌(さま)なるお、かく二〈つ〉に分〈け〉て雲は、古歌に此類多し、