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古今要覧稿
草木
しぬ 〈しの〉しぬ一名しの、一名ほそたけは、漢名お篠といふ、これは延喜式にいはゆる小川竹の、やヽ小なるものにて、今所在極めて多し、その幹深青色にして、高さ七八尺、その枝は五枝なるもあれば、三枝なるもありて、すべて一様ならず、凡彗篠の如きは、年お経る時は、一節の間九枝或は十枝お生ずれども、此竹はしからず、その葉長さ七八寸、広さ四五分にして、毎茎六葉お一朶とす、此笋は四五月の比に生じ、青色にして味至て苦し、これは和名抄にいはゆる長間笋にして、此笋また抽出て、忽ちに若竹となる時は、その節上節下並に粉白なる事、小川竹よりも甚し、一種伊豆の大島に産するものお、俗に大島竹(○○○)といふ、今おほく此竹お以て庭砌の藩籬とす、その竹細長にして節間殊に長し、一説に此種は有徳廟の御代の事なるよし、矢竹に代用ゆべきと上意有て、その谿間に植付させ給ひしが、今は多く繁衍せしといへり、又一種箱根竹(○○○)あり、矢竹よりまた細長にして、枝葉は大略前条と相似て、やヽ細小にして、其葉さらに落がたきによりて、そのまヽにて掃箒となすによろし、其性いたつて柔靭なるおもつて、竹籠お作るもの、多く此竹お用ひ、或は筆管となし、或は烟管となすも、また此竹なるよし、これは嘉興県志に、いはゆる竹篠にして、延喜式にいはゆる小竹、径二分長八尺といへるも、此類おさしていひしなるべし、扠此竹お旧より箱根竹といへば、その産地はかならず相模国なるべしとおもひけるも、或人の説に、箱根竹は伊豆国に産せしにて、相模国にはあらずといへり、よつて和漢三才図会お閲せしに、伊豆国土産箱根竹とありて、相模国の土産には此竹お載ず、これによれば箱根竹は、全く今の浅草海苔のたぐひにて、或人の説妄ならざるべし、