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古今要覧稿
草木
すヾ 〈やまだけ(○○○○)〉すヾ、一名みすヾ、一名すヾたけ、一名やのたけ、一名やま竹は、漢名お箬箭(○○○○○)といひ、笋おすヾだけのこ、漢名お〓、一名箭〓といふ、これは雪国の山に生ずる小竹にして、信濃に多し、〈詞草小苑〉その葉箬に似て、幹高く、本根屈曲すと〈本草一家言〉いへり、また加賀越前等に産するものは、その葉箬よりも至て長大にして、葉辺変白せず、幹は矢竹に似て、毎節平かにして、高さ一丈許、大さ指の如し、また肥前の大村よりいづるものは、その節間殊に長し、〈和漢三才図会〉即一物なり、歌には大和の吉野、山城の鞍馬、紀伊の熊野等の諸山のもの其名高し、されど太古の時、五百箇野〓と〈日本書紀〉いへるは、山生のものにあらず、此笋籜青緑にして、その籜枯るときは色白し、すべて北国地方にては、大竹希なるお以て、土民古より、此笋お採て、雪花菜に塩おまじへて蔵し置て、食用とす、西土にても、周礼に〓苴雁醢といひ、爾雅に〓箭〓といへるは、即此竹の笋なれば、彼土にても此笋お食用に供せしかば、由て来ること久しき事なり、扠西土にて矢に作れる竹数種ありといへ共、古より会〓に産するものその名高く、即今のすヾたけにして、山居賦にいはゆる箬箭なれば、和漢三才図会にいはゆる大村の箭竹、葉大於馬篠といへるに暗合のもの也、蓋し大村の産は、此竹のその所お得て、本根といへ共屈曲せず、矢に作るには至てよろしきものなるべし、されども古より皇朝にて、矢に作りしは尋常の笄箭にして、此箬箭お用ゆる事お聞ず、凡箬箭は諸国山中に極めて多きものなれば、今より後は肥前人の用ひしにならひて、此竹お以て矢に作りなば、その勁強、西土会〓の産にも劣らざる事明らけし、