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有徳院殿御実紀附録
十八
公〈◯徳川吉宗〉殊に林園泉石の観おもてあそばせ玉ふ事もなく、一草一木の微にいたるまでも、みなものヽ用にたつべきものお、うえさせ玉へり、そのなかにも竹はわきて実用の物なりとて、年々に数種おうえられしが、これより先吹上の御庭に、田舎といへる茶亭のありしお、こぼたしめ玉ひ、其あとに真竹六百株お植させ玉ひしが、享保十年、植木門より半蔵門までの、裏山通に移しうえられ、それよりまた大土手なだれに四百株、また大道通矢来内外の土手にも三百株、一の門内に淡竹三百株、また草加駅よりも大竹六株おうつされ、小なへ竹なども追々植られしに、裏山通の竹年々に繁茂せしかば、この笋おもて日毎の厨料にもせられ、又年年材木奉行に下して、材木の用とせられ、折損せしおば園丁等にあたへ、かれらが所徳とせしめ玉ひしとなり、