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雨窻閑話
国府寺笋〈并〉島左近が事一今は昔、播州姫路の太守たるひと、年々笋の生ふる時分、姫路の城下国府寺次郎左衛門といふ富家へ、振舞にゆき給ふ事あり、かの国府寺は、由緒正しきものにて、太閤よりの御朱印頂戴す、境内に大薮有りて、年々笋出づる事火し、其太守お招請申す事先例なり、また此薮へ入りて笋お盗むもの、必罰せらるヽ事、律令なりとかや、ある時笋の時分、太守の中間年十七八許なる若もの、ひそかに彼やぶに忍び入りて、笋お多く盗み取りけり、此事露顕に及び、吉岡某といふ家老のはからひにて、禁獄のうへ、彼者打首に致しけり、其節吉岡至りて出頭して、肩おならぶる者なし、こヽに其翌年夏、例の笋時分、国府寺次郎左衛門太守お招請し奉るによりて、吉岡もしたがひ行きけり、亭主次郎左衛門罷り出でヽ、いつもの如く、薮の笋お御覧下されかしとて、先へたち案内す、太守見物まし〳〵て、うしろお振廻り、笋はいつもはゆるが、人はと仰せられて、〓おこぼし給ひければ、吉岡ぞつとしたるよし、下劣の小童の命一つといへど忘れ給はで、笋お見給ふにも、かれが死おおしませ給ふ、人君の思召いと有りがたし、凡是までは、大概此笋お盗む咎は、死刑に極まりしに、太守半句の謎お以て、其後は永代死刑おまぬかるヽやうに成りしこそ、徳行とも申すべけれ、