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嬉遊笑覧
十二/草木
宗懍荊楚歳時記曰、競採百薬、謂百草以蠲除毒気、故世有闘草之戯といへり、〈◯中略〉七修類稿に、風俗闘百草戯、独盛於呉、故荊楚記、有端午四民闘百草之言、未知其始也、昨読劉禹錫詩曰、若共呉王闘百草、不如応是欠西施、則知起于呉王与西施也、おもふに禹錫が詩は、唯その国の風俗おもて作れるまでにて、必しも呉王西施が故事あるにはあらじ、〈◯中略〉又すまふ取草にて童ども勝負お争ふ戯あり、〈◯中略〉又稲草或は灯草(たヽみの〓)など束ね括り、三寸ばかりに截て立れば下広がりて立なり、是も前の如く三つよせて相撲とらすことおなじ、又松の葉の股お互に引かけて切たるお負とするお松葉きりといふ、此等のわざは異なれども闘草の類なり、◯按ずるに、闘草の事は、遊戯部物合篇に詳なり、宜しく参看すべし、