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東雅
十三/穀蔬
稲いね 旧事紀に、五穀は火神軻遇突智の子、稚皇産霊神の化生せし所也とも、また葦原中国の保食神の化れる所也とも見えたり、古事記には、軻遇突智の姉大宜津比売神の化れる所也とも見えたり、太古の俗いひつぎし所、其説已に同じからずとは見えたれど、日神其種子おとり得給ひて、天狭田長田に殖しめられしより、世の人始て粒食する事お得しといふに至ては、異なる説ありとも見えず、稲の如きは、保食神の腹より生れしとも、大宜津比売神の目より生りしともいふなり、名づけていねといひ、亦転じてはしねといひし義の如きは不詳、〈◯註略〉倭名抄に、按ずるに稲熟に早晩ありて、其名お取る、早稲はわせといふ、晩稲はおくてといふと註せり、わせといふは、わははなり、はといひわといふは転語也、はとは早といふが如し、せとはしねといふ語お合呼びし也、おくて又はおしねともいふなり、おくといひおしといふ、共に是晩の義也、てといひねといひ、またせといふは、皆転語にして、しねといふ語お合呼びし也、