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庖厨備用倭名本草
二/穀
秈米 倭名抄に秈米なし、多識篇に和名なし、増補日用食性に、やきごめといへるは誤れり、考本草、其種は占城国より来る、又名占米(せんへい)、粳に似て粒小し雲雲、今各処みなあり、高仰処に倶に種べし、其熟することはやし、六七月に収むべし、品類も多し、赤白二色あり、粳米と大同小異、元升〈◯向井〉曰、此註おみれば、秈米は西国に多きたいたうなるべし、たいたうごめに赤白二色あり、其粒ほそく長し、味うすくして乾きやすく、飯にしてねばりなく、性かろくして消しやすし、凡唐天竺其外異国より来る米は、なり形気味ともに、日本のたいたうごめの如し、故に本草に雲、処々の米は滋養之功なし、恒に飢に充るによし、南方の火稲は人お補益すといへり、此一種たヾ日本の白米に同じかるべし、日本の米は粒ふとくみじかく、味あつくかわきがたく、飯にしてねばりありて性おもし、本草に雲粳米なるべし、朝鮮の米はすこし似たり、唐人初めて日本に来るものは、日本の米は性つよしとて、湯とり飯にして用ふ、彼是案ずるに、秈米は日本のたいたう米也、種て米多く収む、民家の食糧たすけ多し、