[p.0778][p.0779]
松屋筆記
七十四
袖のこほうしごなどいふ稲名按に、末句〈◯俊頼歌〉かへしそめけんと有は誤也、顕昭注本にかぶしに作れるおよしとす、顕注雲、そでのこ、ほうしご、ともに稲名也、かぶすとは、稲の実の成て傾くおいふ也雲々、かぶしは古事記〈上巻〉八千矛神の御歌に、夜麻登能(やまとの)、比登母登須々岐宇那加夫斯(ひともとすヽきうなかぶし)雲々、〈山本の一本薄項傾の義なり〉神代紀〈下巻十二丁表〉に頗傾此雲歌矛志(かぶし)雲々、天智紀〈三年〉に垂穎而熟(かぶしてあからめり)雲々、徒然草〈百五段〉に、かぶしがたちなどはとよしと見えて雲々、四季物語〈十一月段〉にえぼしうちかたぶきたるかぶしがたちおかしきもの成べし雲々なども見ゆ、丹後守為忠家初度百首に、山田苗代お為忠、うぢ山のすそのヽ小田の苗代にいくらかまきし袖の子の種、夫木集〈秋三〉秋田部に、御集花山院御製、秋の田お吹くる風のかうばしみこや袖のこるにほひなるらん、按に異本に、かうばしき袖のこのとあり、印本は誤れり、又家集如覚法師、さよ衣たちのヽひだに耳なれて袖のこなたにすがるなく也、按に、さよ衣たち野はひだといはん料の序、及袖の子といはん縁語におけり、ひだは衣のひだに引板(ひだ)およせ、袖のこなたは、袖の此方に袖の子と水田(こなた)おふくめてよせたるなり、〈◯中略〉ほうしごの稲は、今の俗にぼうずいね(○○○○○)と呼て、芒なき種類也、曲有旧聞に、洛下〈一作中〉稲田亦多、土人以稲之無芒者為和尚稲、亦猶析中人呼師婆粳、其実一也とあるは、同日の談也、曲有旧聞一巻、新安の朱弁、字は少年が撰にて、知不足斎叢書中に収たり、