[p.0779]
増補雅言集覧
二十四/曾
そでのこいね 信友雲、ほうしごの稲と雲へるは、若狭にて稲穂の芒の無き一種あるお坊主稲と雲へり、信濃にても然いふと国人いへり、決てこれなるべし、さて袖のことは、僧の托鉢し米お乞ありくに、与ふる米お鉢の子と雲ふおおもへば、古は僧の托鉢して米お受るとき、袖おひろげ鉢お載て、米お受るならひなりけんお、其お袖の子と雲ひしなるべし、太平記〈参考本卅三の二十三丁〉に、京都兵乱にいたく荒衰へたる状おいひて、飢にのぞみたる人の疲れ乞することお、道路に袖おひろげと雲ひ、今も袖乞と雲ふも、其唱の残れるにおもひ合すべし、又袖の子に引かさねと雲る引とは、僧に布施お配与ふるお引と雲ひ、又茶お配与ふるお引茶と雲ふ、又饗応に酒杯又肴物など客に配るお引と雲ひ、引物とも雲ふ、其料の杯お引杯と雲ひ、肴物お引物と雲ふなどの引にて、米お引かさねて得たるさま也、この意おえて、稲のたふれたるによみなせるなり、