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増補雅言集覧
十二/遠
おしね、〈小稲〉春海が仮字拾要雲、おは発語也、おざヽ、おすヽきなどいふおと同じ、稲としねは古へ通はしいへり、孝昭天皇の御名お、古事記に御真津日子訶恵志泥命とあるお、日本紀に観松彦香殖稲天皇としるされたるは、稲お志泥の仮字に用られたる也、又催馬楽に、みしねつくともあり、此外に古人の名に甘稲などいへる類多くありおしねといふ詞は、古き歌には見えず、堀川百首に、仲実朝臣、秋田かるおしねのひたははへたれど稲負鳥の来なくなるかな、また俊頼朝臣、秋かりしむろのおしねおおもひ出て春ぞたないにたねおかしける、又同じ朝臣の散木集に、かつしかのわさ田のおしねこぎたれてなきもたゆれどつきぬ涙か、又同じ朝臣の新古今集に入たる歌に、うき身にはやまだのおしねおしこめて世おひたすらにうらみわびぬる、新撰六帖に、光俊朝臣、浦風に浜田のおしねうちなびきはやかりしほになりにけるかな、これらの歌はたヾ稲といふべきお、おしねといへる也、さるお安元二年十月右大臣家歌合に、初雪といふ題にて、清輔朝臣、おしねかるしづの菅がさ白砂に払ひもあへずつもる雪哉、とよみて、自判に田は秋こそかる物にてあるお、雪ふらん時はいかヾなど申人ありしかど、それは僻事なり、十月にかる所おほかり、おしねといふは、おそきいねなれば、かきあひてこそ侍れといへり、こは古き証もなく、たヾ清輔朝臣の億説にいひ出たる事と見ゆ、契冲は此清輔朝臣の説おとりて、そいの反しなれば、おそいねお約めておしねといへるにて、俊頼朝臣の歌は誤也といへり、こはうけられぬ事也、契冲が説に俊頼朝臣は歌に堪能なるまヽに、ほしいまヽにおしねの詞おつかはれしならんといへるはたがへり、俊頼朝臣よりも先輩なる仲実朝臣の歌にもよめるおば、いかでわすれけん、歌に堪能なればとて、あらぬ詞およみいづるといふことあるまじきなり、稲おしねといへる詞なき事ならば、そいの反によりて、おそいねの義となすもことわりあれど、さならでもしねといふ詞あるからは、これのみそいお約めたる詞とはいひがたし、さて事は少しも古きかたにこそよるべきお、清輔朝臣のいへる事おのみ証として、それより前なる仲実俊頼などの歌お誤也とせん事心ゆかず、たとへ後の人のいへる事也とも、正しき証あらばよるべけれど、清輔朝臣の説も、証もなき億説なるおや、この朝臣は世の人にそむきて、ひがごとおおほくいひけるよし、俊成卿の正治奏状にも見ゆ、また今ある奥儀抄袋草子にも、あらぬひがごとの多きおおもへば、いかで此朝臣のみより所となすべき、契冲がおそいねの事およしとおもへるは、そいの反しなるになづめるもの也、五十音になづむ時は、ことの心おうしなふ事おほし、初学の人心せよ、広足按に、稲おしねといふことは、和名抄祭祀具に〓米、〈和名久万之禰〉また稲穀部に糙、〈加知之禰〉秳、〈乃古利之禰〉粳米〈宇流之禰〉などもあり、天智紀に稲種(たなしね)ともよめり、歌には新勅〈秋下、為家、〉かた岡のもりの梢も色づきぬわさ田のおしね今やからまし、続古〈秋下、入道前太政大臣、〉しらつゆのおくてのおしね打なびき田中の井どに秋風ぞふく、同〈同、雅成親王、〉秋の田のおしね色づく今よりやねられぬいほのよさむなるらん、新後〈秋下、教定、〉露むすぶ門田のおしねひたすらに月もるよはヽねられやはする、拾玉〈二早苗〉小山田のおしねのなへのとり〴〵にみゆるうえめのすがたなるかな、長秋詠草、〈中、田家鶯、〉ますらおが秋のおしねおまつがきにまだ春ふかき鳥の声かな、雲葉集、〈前内大臣家〉もみぢばおそめてしぐるヽ秋山におくてのおしねほしやわぶらん、貞治年中行事歌合、関白良基公不堪田奏、此秋は千町のおしね数そひて作るに堪ぬ坪付もなし、これらの歌いづれもたヾ稲の事によめるおおもふべし、