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古事記
中/景行
於是坐倭后等及御子等諸下到而、作御陵、即匍匐廻其地之那豆岐田〈自那下三字以音〉而、哭為歌曰、那豆岐能(なづきの)、多能(たの)伊那賀良(いながら/○○○○)邇(に)、伊那賀良爾(いながらに)、波比母登富呂布(はひもとほろふ)、登許呂豆良(ところづら)、