[p.0800][p.0801]
地方新書
籾永〈永は穎のこと也、永も穎も同韻なれば、仮借して、省画の永字お用ゆるなるべし、なほ〓におの字お仮借し、段に反の字お用ゆると同じ、或雲、永は穎の草体のへんお取り〓なるお、永とせしなるべしといかヾ、◯中略〉永は普通の俗書に、永楽銭より起るとするは当らず、未だ永楽の年号なき時より永銭の号あり、農政座右に、水府薬王院文書に、穎銭と雲ことあり、又鎌倉八幡社人大伴忠雄が相模志料に、永高の永、旧は穎なるべし、延喜式和名抄等に、穎稲又本稲本穎等の名あり、終に田畠の高お、何貫文と雲名はのこりしならんと、一段二百五十歩、一歩二把づヽの稲把お刈り出し、此一把より二升づヽのもみお出し、米として一升お得るなり、此直穎銭一文なり、二百五十歩は二百五十文、是即ち百匹なり、