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塵袋

粟の字お米と雲ふことあり如何米お粟と雲へる事多し、あはとも心えられぬべき事もあり、漢朝に鶏おつくりて、其くちばしに、勝の字おかきて、くはへさせて、さほのさきに置て、六人おさだめて、勝の字お我さきにとらんと、あらそはしむるに、はやさほにのぼりて、とりたるものには、米三斛おたまはする事あり、さやうにして、たまはる米おば鶏粟となづけたり、又漢書曰、大倉之粟腐不可食と雲へる注に、言積日久、米符赤也雲へり、かさくちて紅梅いろになりたる也、これらは粟の字なれども、米なる心あきらかなり、臣軌雲、務農則田墾、田墾則粟多、粟多則人富と雲へり、是れも心は米なるべし、粟の一字あはにも米にもわたる事如此、このゆへに先年に鎮西の八木お宋朝にわたす事お、とヾめられしとき、顕朝卿、米お粟実とかきたりしお、定副卿あはのみは何ぞと、あざけりたりけるおかへりききて、顕朝卿とがめて、はかりなきいさかひになりたりときこえき、