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春波楼筆記
吾日本、米穀お以て食の第一とす、世界の諸邦此の米かつてなし、五十度外にしては、牛肉お以て上食とし、其の余は麦、粟、稗お以てす、人の生命食にあり、吾国の米穀味甘くして淡く、膏油あつて身体お潤す、また酒に造りて美味、他邦米ありとも、日本米の如くならず、酒に造りて夏月腐り、味お変ず、故に焼酒とす、味辛し、糯米亦他になし、支那月餅(えぺい)と雲ふ者あり、八月十五夜に造る餅なり、予〈◯司馬江漢〉長崎に遊ぶ時、之お喰するに餅にあらず、今雲ふ落雁の如し、米の粉お熬りてつぐねたる物なり、吾国の如く糯米なき事知るべし、又曰く、天竺赤道に近き諸島、さーごぼーむと雲ふ樹の皮お製して黍の如し、之おさご米と雲ふ、其の余麦お以て食とす、吾国の禁にして他邦に船お出ださず、故に他国の事お知る者鮮し、吾等蘭学お以て之お知る、余江漢曰く、〈◯中略〉山中米なき地、病者あれば、米お以て薬とす、効験あり、都会の人常食とす、