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百姓囊

田家の食物麦お第一とす、粟又勿論なり、麦は天子も聞しめさるヽ事、和漢例あり、殊に本朝にては猶更なり、四五月の間にや、青ざしといふて、青麦お調じたるお、禁裏へ奉るよし、清少納言が草子に見えたり、禁裏の御園にも、麦お作れるよし、俊頼朝臣の歌に、御園生に麦の秋風そよめきて山ほとヽぎすしのびなくなり、御園生は禁裏の御畠なり、いかさま麦おきこしめす事あれば也、麦は三時草(みときぐさ)といひて、冬蒔て春長じ、夏熟するゆへ、日数久しく民の労甚多し、一粒おも徒に捨る事あるは科成べし、民の苦労おもはざらんや、西行の歌に、賤の女がかたつき麦おほしかねて宵ねやすらん五月雨のころ、かたつき麦とは、一たびつきたるおいふ、二たびつきたるお、もろづき麦といひて、飯に炊て食するなり、土民はかたつき麦おも食すると見えたり、