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傍廂
後篇
麦秋麦秋といふは、四五月の頃なり、秋にはあらねど、稲は秋にみのる故に、それになずらへて、麦のみのる頃お秋とはいへるなり、野客叢書、宋子京有皇帝幸南園観刈麦詩、曰、農扈方還夏、官田首告秋、注、臣謹按物熟謂之秋、取秋斂之義、故謂四月為麦秋、礼月令にも、麦秋至とあり、朗詠集にも、五月蝉声送麦秋とあり、夫木集に、おくるてふ蝉のはつ声聞くよりも今はと麦の秋おしるかな、これらおもてみれば、秋はあかりの約にて、あかりはあからむといふ義なる事うつなし、