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古事記伝

粟は書紀神代巻にも粟田(あはふ)と雲、神武巻の大御歌にも阿波布およみ賜ひて、〈万葉三巻にも、春日之野辺粟種益乎、〉古に殊に多く作し物なり、故粟のよく出来る国なる故の名なるべし、〈和名抄に、唐韻雲、粟禾子也、和名阿波とあるは、粟(ぞく)字につきたる義なり、漢国にては、たなつ物お凡て粟(ぞく)と雲こともある故なり、されど皇国にて粟と雲は、一種の名にて、総てにはわたらぬお、禾子也と雲注お引ながら、和名阿波とせしは、順の誤なり、〉古語拾遺に、求肥饒地遣阿波国雲々、こは穀麻お殖むためなれど、肥地ならば粟もよくみのるべし、伯耆風土記に、相見郡郡家之西北有粟島、少日子命蒔粟、秀実離々雲々、故雲粟島也、これも粟の、島の名となれる思合べし、