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東雅
十五/草卉
菅すげ 茅ち 萓かや〈◯中略〉 ちといひかやといふ義未詳、〈◯中略〉古の時にちと雲ひしもの、即今俗にちがやといひ、またちばなとも、つばなともいひて、万葉集に茅花としるせしは、彼にして茅針といふもの即是也、〈或人の説に茅おちといふは、其赤色なるが血の如くなるが故也といふなり、彦五瀬命御手の血おあらひ給ひし海お、血沼(ちぬ)といふ、後に茅渟海(ちぬうみ)といふ是也、また神武天皇の兄宇迦斯お斬給ひし地お、宇陀之血原といふとも見えしは、後に浅茅原などいふ事の如くにも聞えぬれば、かた〳〵其謂あるに似たれども、血と茅とちとよぶ所の同じければ、血といふ名お嫌ひて、後に茅の字お用ひしも知るべからず、血によりて茅の名ありといふ事、其徴とすべき事は見えず、またかやといふ事は、刈りて屋お葺く草なるおいふ也ともいふなり、古事記に葺草の字おかやと読み、万葉集に刈草おかるかやと読む事も見えたれば、これも其謂あるに似たれど、草祖おかやのひめと雲ひしと見えし如きは、草といふ者の初て生じたらむ時に、既にそれお刈りて、屋葺く料となすべきおもて、かやといふの神名あるべしとも思はれず、〉