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東雅
十五/草卉
薄すヽき 倭名抄に、爾雅には草の聚生お薄と雲ふ、万葉集の歌に、花薄の字よむではなすヽきといふと註せり、其註せし所の如き、薄の字すヽきと読む事、然るべしと思へりとも見えねど、また正しくいづれの字お用ゆべしといふ事も見えず、陳蔵器李東璧等の本草に拠るに、芒は爾雅に莣に作ると見えしは、此にしてすヽきといふ者也、一種茎の短きお石芒といふと見えしは、此にしのすヽきなど雲ひし物に類して、其穂に出でぬるおば、はなすヽきと雲ひ、其花おばおばなといふなり、すヽきとはおぎといふ名に対し雲ふなり、すヽとは猶さヽと雲ふが如し、其細くして細きおいふなり、きは其葉の人お傷ふ事、鋒〓の如くなるおいふなり、おばなとは万葉集に、麻花としるせり、糸などの乱れたるやうになるおいふと、旧説には見えたり、藻塩草にすすといひ、ささといふ、其語の転ぜしにて、其義は同じ、たとへば雀おすヾめといひ、鵻鷯おさヽきといふ、共にこれ其小鳥なるおいふが如し、万葉集抄にみくさとはすヽきなり、真草の義にてみくさといふべし、此集義読の中、草花とかきておばなとよむ、是すヽきは真の草なるなり、万木千草多かりといへども、神祇お祝ひかざり祭るに、榊おみさかきといひ、すヽきおみくさといふべし、天照大神天磐戸にこもり給ひし時、野槌者採五百箇野薦八十五籤と雲雲、これに因りて信濃諏訪明神のみさやまのかりやに、花すヽきお取りて、みぬさお奉るといふ是也と見えけり、日本紀には野薦の字すヾとよむお、纂疏には薦は小竹之名と註せられたり、万葉集抄の説によれば、すヽは、すヽき也、纂疏之説に依れば、すヾといふは猶小竹よむでさヽといふが如し、いづれか是なる事お知らず、