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今昔物語
十二
神名叡実持経語第卅五今昔、京の西に神明と雲ふ山寺有り、其に叡実と雲ふ僧住けり、〈◯中略〉而る間閑院の太政大臣と申す人御けり、名おば公季と申す、九条殿〈◯藤原師輔〉の十二郎の御子也、母は延喜の天皇の御子に御す、其の人其の時に若くして、三位の中将と聞えけるに、其比瘧病と雲ふ事お、重く悩み給ひければ、所々の霊験所に籠て、止事無き僧共お以て、加持すと雲へども、露其の験無し、然れば此の叡実止事無き法花の持者也と聞え有て、其人に令祈むと思て、神明に行き給ふに、例よりも疾く賀耶河の程にて其の気付ぬ、神明は近く成にたれば、此より可返きに非ずとて、神明に御し付ぬ、房の檐まで車お曳寄て、先づ其由お雲ひ入さす、持経者の雲ひ出す様、極て風の病の重く候へば、近来蒜お食てなむと、而るに唯聖人お礼み奉らむ、唯今は可返き様無と有れば、然らば入らせ給へとて、蔀の本の立たるお取去て、新き上筵お敷て、可入給き由お申す、三位の中将殿、人に懸て入て臥給ぬ、持経者は水お浴て、暫許有てぞ出来たる、見れば長高くして痩せ枯れたり、現に貴気なる事無限し、持経者寄来て雲く、風病の重く候へば、医師の申すに随て、蒜お食て候へども、態と渡らせ給へれば、何でかはとて参候也、亦法花経は浄不浄お可撰給きにも非ねば、誦し奉らむに、何事候はむと雲て、念珠お押攤て寄る程に、糸憑もしく貴し、〈◯下略〉