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今昔物語
二十六
利仁将軍若時従京敦賀将行五位語第十七今昔、利仁の将軍と雲人有けり、若かりける時にと申ける、其時の一の人の御許に格勤になん候ける、越前国にの有仁と雲ける勢徳の者の婿にてなむ有ければ、常に彼国にぞ住ける、而る間、其主殿に正月に大饗被行けるに、当初は大饗畢ぬれば、取食と雲者おば追て不入して、大饗の下おば其殿の侍共なん食ける、それは其殿に年来に成て所得たる五位侍有けり、其大饗の下侍共の食ける中に、此五位其座にて暑預粥お飲て舌打おして、哀れ何かで暑預粥に飽かんと雲ければ、利仁此お聞て、大夫殿未だ暑預粥に飽せ不給かと雲へば、五位未だ不飽侍と答ふ、利仁いで飲飽せ奉らばやといへば、五位何に喜ふ侍んと雲て止ぬ、〈◯中略〉而る間、物高く雲音は何ぞと聞ば、男の協て雲様、此辺の下人承はれ、明旦の卯時に、切口三寸長さ五尺の暑預各一筋づヽ持参れと雲也けり、奇異くも雲哉と聞て寝入ぬ、未だ暁に聞ば庭に筵敷音す、何態為にか有むと聞に、夜暁て蔀上たるに、是れは長筵おぞ四五枚敷たる、何の料にか有むと思ふ程に、下衆男の木の様なる物お一筋打置て去ぬ、其後打次ぎ持来つヽ置お見れば、実に口三四寸許の暑預の長さ五六尺許なるお持来て置、巳時まで置ければ居たる屋許に置積つ、夜前〓びしは、早ふ其辺に有下人の限りに、物雲ひ聞する人呼の岳とて有墓の上にして雲也けり、隻其音の及ぶ限の下人共の持来るだに然許多かり、何況や去たる従者共の多さ可思遣、奇異と見居たる程に、解納釜共五つ六ほど掻持来て、俄に杭共お打て居へ渡しつヽ、何の料ぞと見程に、白き布の襖と雲物著て中帯して若やかに穢気無き下衆女共の、白く新き桶に水お入て持来て此釜共に入る、何ぞの湯涌すぞと見れば、此水と見は味煎也けり、亦若き男共十余人許出来て、袪より手お出して、薄き刀の長やかなるお以て、此暑預お削つヽ撫切に切る、早ふ暑預粥お煮る也けり、見に可食心地不為、返ては疎しく成ぬ、さら〳〵と煮返して暑預粥出来にたりといへば、参らせよとて、大きなる土器の銀の提の斗納計なる三つ四つ計に汲入て持来たるに、一盛だに否不食て飽にたりと雲へば、極く咲て集り居て、客人の御徳に暑預粥食など雲ひ嘲り合へり、