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源平盛衰記
二十六
忠盛帰入事此子〈◯平清盛〉三歳の時、保安元年の秋、白川院熊野御参詣あり、忠盛北面にて供奉せり、糸鹿山お越給ひけるに、道の傍に薯蕷絃枝に懸り、零余子玉お連て生下、いと面白く叡覧ありければ、忠盛お召て、あの枝折て進せよと仰す、忠盛零余子の枝お折進するとて、仰下し給ひし女房、平産して男子也、おのこヾならば、女が子とせよと、勅定お蒙りき、年お経ぬれば、若思召忘たる御事もや、次お以て驚奏せんと思ひて、一句の連歌お仕る、這程にいもがぬか子もなりにけり、是お捧たり、白川院打うなづかせ御座して、忠盛とりてやしなひにせよ、と付させ御座けり、思召忘させ給はぬにこそと、悦思ひける処に、還御の後三歳と申冬冠給て、熊野権現の御託宣なればとて、清盛と名く、