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広益国産考

萆薢 ところ萆薢はところなり、本草諸書お按ずるに、無毒にして諸病お治するの大功あり、且食用にもあつべきものなれば、飢歳には五穀にかへて餓死おまぬかるべし、されば我邦にても、古へは食料となせしゆへ、和名抄にも芋の類におさめられ、崔禹錫が食経お引て、薢は味ひ苦く少しく甘し毒なし、焼蒸て粮にあつといへり、〈◯中略〉今は国により食ふ所あれども、大かたは隻草とこヽろえて、食となるべき事はしらず也けり、且此物薬となりて諸病お治する事も、唯医師のみ知りて、諸人是おしることなし、年凶にして五穀登ず、辺境の民食に乏しく、飢餓におよぶの時に至りては、偶これお掘出すといへども、其苦味おしのびかね、得も食ざること多し、曾て戸谷老人なる人是おなげき、苦味お去る工夫おなし、此物毒なくして薬となる事どもの証おひき、製萆薢略記といへる書おつヾりて、世人にしらせたれども、苦味おぬき製するに至りては、口伝とばかりしるし、且その書、梓にのぼせざれば、世に知る人希なり、故に予〈◯大蔵永常〉これお歎じ、其書お補はんことお願ふこと久し、いにし天保甲午の年、三河田原に遊事し、俸禄お辱ふせられ、館舎おも給りければ、其四周の竹林中に萆薢の多く生じたるお、家奴に命じほらしめ製し試み、其わざおつばらかにしるし、世にひろくすることヽはなしつ、〈乙〉未年仲冬 黄葉園主人誌