[p.1162][p.1163][p.1164]
古今要覧稿
草木
春鳳蘭 〈蕙蘭〉春鳳蘭は漢名お蕙蘭一名九節蘭、一名興蘭と雲、その形状鳳蘭に似て葉に光あり、花は二三月の頃に開く、一幹七八花、其弁甌蘭よりも痩細にして末尖り、其色淡黄にてかばいろの縦道あり、これお土窖中に入おく時は、初春に花お開く事甌蘭に同じ、さて顧野王の頃に蕙といへるは、全く秋蕙にして、秋花さく蘭おいひ、黄山谷以下に蕙といへるは、春秋に拘はらず、すべて蘭の数花お開くものおいふ、憶に渠の頃は、いまだ蘭の種類世に多からざるによりて、たヾ春蘭秋蕙お以て其別おなせしなり、後世に至りては、其種類おのづから多く出て、春月数花お開く、蕙おも見出せしより、遂に蕙は春秋にかヽはらぬ名とはなりぬ、これは全く時勢のしからしむる所にして、必しもあやまりお伝へしにはあらず、世に蕙お玩ぶもの、よろしく古今によりて、その違ひある事おおもふべし、〈◯中略〉小蘭 〈王小嬢〉小蘭一名姫蘭は、漢名お王小嬢といふ、其葉極て細小にして、長さ一尺余、闊さ二分許、秋白茎抽て三五花おつく、形寒蘭に似て白色にして黄お帯び、弁ごとに五紅線ありて、心には同じ色の星点多し、凡此花は五弁なりといへ共、上弁は大にして三方に分離し、二弁は小にして上より心おおほふて分離せず、香気衆蘭よりもやヽ劣れり、雄蘭 〈駿河蘭 建蘭〉雄蘭一名大蘭、一名駿河蘭は、漢名お蕙一名秋蕙、一名薫草、一名秋蘭、一名建蘭、一名剣葉蘭、一名玉整花といふ、〈◯中略〉抑駿河の種は葉頗る菅茅の如くにして叢生し、色青緑に少しく黒みお帯び、直立して剣脊あり、長さおほよそ二尺より三尺余に至る、初秋の頃に至れば、その葉心より淡黄色なる花茎お抽て、其梢七八花或は九花お開く、又温暖の地にては、その花五月の頃に開く、故に西土にても建蘭盛於五月、〈格致鏡原引学甫雑疏〉或は建蘭五六月放一幹九花〈秘伝花鏡〉などいへり、その細縦道あり、また花内に二に弁お生じ、その弁並に紫黒色の星点あり、香気殊に高し、故に〓州府志に、建蘭芬郁方今為海内所推度、他種無能見勝者とみへたり、さて蘭には花蕊の間に細かなる白露珠ありて、これおなむれば味いと甘し、此即西土にいはゆる蘭膏〈蘭言秘伝花鏡〉なり、また花後実お結ぶ、状馬蘭に似て長さ二寸許、これお蘭笋〈物理小識〉といふ、内に白き粉の如きものあり、これおまけども、遂に苗お生ずる事お聞ず、さすれば西土にて其子熟亦可種也、〈同上〉といへるは、甚疑ふべし、又根は天門冬に似て細く、其色また相似たり、これお土続断〈草木通志略〉といふ、俚俗或は採て引風の薬とす、今これお試るに、根は味甘く香気なし、されど五雑俎に蘭根食之能殺人不可不慎とみへたれば、用ゆるものよろしく斟酌すべし、又花は味辛くして苦し、これは五雑俎に、閩建陽人多取蘭花、以少塩水漬三四宿、取出洗之以点茶絶不俗とみへたれど、事物紺珠には峡中儲毒蘭花第一といへり、今その花お試るに、おほく服すれば、少く逆上の気味あるものといへども、根はしからず、さすれば花根ともに全く大毒はなきものなるお、殺人などいへるは、けだし伝聞の誤りなるべし、〈◯中略〉雌蘭 〈房州蘭〉雌蘭一名房州蘭は、漢名お〓蘭といふ、其葉全く建蘭に似てやヽ薄くして短く、斜にしだれて頗る吉詳の如し、その花お開き実お結ぶ事、また建蘭と一様にして、たヾ花茎紅色なるお異なりとす、此即建蘭の一種にして、其品稍劣れるものなり、〈◯中略〉博蘭 〈呉蘭〉博蘭は漢名お呉蘭といふ、花は秋に至り一幹五六花お開く、形状幽蘭に似て円く、紫黒色にして頗る藜盧の花の如し、葉は金灯草に似て黒緑色にて光沢あり、長さ一尺三四寸、闊さ七八分、此種近時多く唐山より来る、一種黒蘭ありと、和漢三才図会にみへたれど今詳ならず、〈◯中略〉寒蘭 〈冬蘭〉寒蘭一名おほらんは、漢名お冬蘭といふ、和漢蘭称に、寒蘭はたれまた蘭花の類なり、一茎数花、対州土州予州紀州勢州等の暖国、海近き山よりいづ、葉に長短狭闊あり、花は青色のもの多し、また紅紫及黄色のものあり、十月の頃にさくといへり、今図する所のものは、即狭葉青花のものなり、