[p.1195]
甲子夜話
二十四
或日の坐話に聞く、麻の初生の芽お食すれば発狂すと雲、先年谷中妙伝寺と雲にて、早朝人ゆきたるに、その住持小僧奴僕など皆沈睡して熟臥す、又視るに、仏壇の本尊より器具戸障子の類、悉く打破てあり、其人不審に思ひ、睡りたる者お揺し起せども覚めず、頻に起してやうやく覚たり、因て其次第お問ふに、さて〳〵能寐たり、夜前は面白きことなりと雲ゆえ、夫はいかにと尋れば、かの打砕きし物お見て大に驚き、始て狂の所然お知りたりと雲、かの毒消ぬれば故に復するにや、此時坐傍の人曰ふ、夏日麻の襦袢お著たるもの、酒お飲で汗出れば、襦袢に酒気殊に移りて有り、これ酒気お吸ふなりと雲き、然れば麻の性は酒お惹ものなるか又一客曰ふ、麻毒の狂も酒お飲めば発することなしと、然れば又酒は麻に克つ乎、又本草大麻の条に、附方〈旧一〉風癲百病、麻子四升、水六升、猛火煮令芽生、去滓煎取二升、空心服之、或発或不発、或多言語勿怪之、但令人摩手足、頃定進三剤愈〈千金〉是等かの発狂の拠とすべし、又かの寺にて数人発狂のとき、十二歳なる児、両手に箸お持ち、面白ひと雲つヽくるひ出し、其次に住持が狂したりと雲、年少の腹中故にや、和尚は多く食せし故にや、