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二物考
題言按ずるに、北極地方の国、寒威凜冽にして、地の融すること、一歳にして才かに一二月のみ、然りと雖ども、其民の飢えざるは何ぞや、是其風寒暑湿に畏憚せざる物お植て、以て食とすればなり、余〈◯高野長英〉常に其種子お得ざるお以て憾となす、今茲に丙申〈◯天保七年〉雨湿連綿、三月より八月に達す、其間の霽日僅かに数ふ可し、時気の寒冷、癸巳〈◯天保四年〉の歳に過ぐ、各州水災多く、米価漸く貴く、人心洶々として安からず、今歳八月中浣、余上毛沢渡(/さわたり)なる福田宗禎に逢ふ、宗禎世々瘍科お業とす、其術甚だ精し、又和蘭書お読み、益其術お研究す、余固より交り厚し、一夕閑談して更将に闌ならんとす、時に一掬の蕎麦お出して、余に示して曰く、凡そ人の凶歳に弊るヽ所以は、糧食足らざればなり、而して糧食の足らざる所以は、一歳数熟の物なければなり、此蕎麦一歳三熟(○○○○○○)すべし、是れ救民の鴻宝に非ずや、余且つ驚き且つ謝して曰く、北極地方の国、穀類お柬むに早熟の物お以てす、此お暖地に移さば、其成熟すること一歳に再三なるべし、余之お欲する所以は、之お此に移し以て糧お増し、飢お防んとするに在り、余嘗て之お遠きに求め、今や之お近きに得たり、是れ子が貽なりと雖も、実は天の賜なりと、悦んで之お受く、〈◯中略〉  丙申重陽之夜、高野譲、識於東都麹街甲斐坂之大観堂、早熟蕎麦(○○○○)〈和名〉 〈はやそば さんどそば そうていそば〉此の蕎麦の種子は、其始め何れの地に産出すると雲ことお詳にせず、近歳民間之お伝えて、処々に之お播殖す、茎葉倶に常の蕎麦に異なることなし、唯其実稍大ひにして、且つ早く熟するの性あり、故に一歳の中に三次成熟するなり、漢名未だ詳かならず、仮りに之お名けて、早熟蕎麦(/はやそば)、又三熟蕎麦(/さんどそば)と謂ふ、