[p.0013][p.0014]
二宮翁夜話

翁曰、天保四年、同七年、両度の凶歳、七年猶甚し、〈◯中略〉下野国真岡近郷は、真岡木綿の出る土地なれば、木綿畑猶多し、其木綿畑お潰して、蕎麦お蒔替るお、愚民殊の外歎く者あり、又苦情お鳴す者あり、仍て愚民明らめのため、所々に一畝づヽ、猶出来方の宜敷木綿畑お残し置きたるに、綿実一つも結ばず、秋に至て初て予が説お信じたりと聞けり、愚民の諭し難きには、殆ど困却せり、又秋田お刈取りたる干田に、大麦お手の廻る丈多く蒔せ、夫より畑に蒔たる菜種の苗お田に移し植えて、食料の助にせり、凶歳の時は油断なく手配りして、食料お多く作り出すべし、是予が飢饉お救ひし方法の大略なり、