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古今要覧稿
草木
なでしこ 〈とこなつ〉 〈瞿麦〉 〈石竹〉なでしこ、一名やまとなでしこ、一名とこなつ、一名ひぐらしぐさ、一名かたみぐさ、一名なつかしぐさ、一名かはらなでしこ、一名いしのたけ、一名のなでしこ、一名ちやせんばなは、漢名お大菊、一名大蘭、一名遽麦、一名瞿麦、一名巨句麦、一名句麦、一名麦句薑、一名石竹、一名石菊、一名錦竹、一名繍竹、一名南天竺草、一名天南竹といふ、此草は、古よりいづれの国の山野にも、おのれとよく生出るものなれども、その名の慥に物にあらはれしは、元明天皇の御時に、出雲国に生いづるよし、その国の風土記にみえたるおはじめとし、〈出雲風土記仁多郡条〉聖武天皇の御時には、雪島のいはほにおふるなでしこと〈万葉集〉いひ、野辺みれば瞿麦の花咲にけりと〈同上〉いひ、また見渡せば向ひの野辺の石竹、或は瞿麦はわがしめし野の花〈同上〉など歌によみて、皆人それ〴〵の思ひお述、延喜の御時には、いはゆる出雲、及び伊賀、近江、また上総、下総などよりも、此子お採て薬用に奉りし也、〈延喜式典薬寮〉そのおのれと生出る中に、野辺のものは、その花淡紅色にて、山生のものは希に紅色のものあり、〈本草綱目啓蒙〉今は野辺のものといへども、また白色のものあり、これは弘景の説に、一種微大、辺有叉椏といへるものにて、近ごろはこれにも数種あり、〈大和本草〉また近世薩摩種といふものあり、その花猶大にして、単葉千葉、及び紅白浅深、間色の数品ありて、みるに堪たり、此たねおまくときは、花色よく変じ、野生のものはしからずとも〈本草綱目啓蒙〉いへり、これ即野辺に生出るなでしこの一種にして、又からなでしこあり、これ清少納言のからのはさら也と〈枕草紙〉いへるものにて、今は字音のまヽにこれお石竹とのみいひて、なでしことはいはず、清少納言は深養父の孫元輔の女にして、円融院の御時の人なれば、それより以前に渡りこしものなれば、歌にいしたけ、またいしの竹とよめるは、此からなでしこの事なるべしとおもひしが、春日野に石の竹にも花咲と〈夫木和歌集〉いひ、あづまのおくにおふる石竹〈藻塩草引俊頼歌〉ともよみしによれば、旧よりよみ来りしなでしこと同じ事にて、清少納言のいはゆるからのおさしていひしにはあらず、然といへども、和泉式部の歌にみるに、猶此世の物と覚えぬはと〈千載和歌集〉よみしは、全くからなでしこの事にて、からより渡りこし後は、山野におのれと生出るものおさして、大和なでしこといへるは、寛平の御時に、きさいの宮の歌合お始とし、〈古今和歌集〉それよりつき〴〵の撰集家などにその名およみし歌殊に多し、扠やまとなでしこは、小野の日あたりよき所に生出て、葉は少さきささの葉に似て、それよりは極めて細く、茎は麦稈に似て、節ありて青くまたほそし、その高さ二三尺に至れば、梢ごとにひとへなる五弁の花お開き、大さは銭程ありて、後に房おむすび、そのうちに少さき黒子あまたあり、またからなでしこは、これにくらぶれば、その茎やヽ大く、葉もまた相似て少しく大いなり、花お開く事、浅深紅紫、また白花のものあり、此種は時珍の説に洛陽花といへるものにて、その花弁の鋸歯ありて、欠刻はなきもの也、また紹興本草に図する所の絳州瞿麦といへるも、これと全く一物なり、また阿蘭陀石竹、南京瞿麦、朝鮮なでしこ、やまと石竹の数種あり、いはゆる阿蘭陀石竹、朝鮮瞿麦の二種は、後光明天皇の寛文年中に渡りこしものなれども、〈広益地錦抄〉今あるものは阿蘭陀石竹の一種のみにて、その余は皆詳ならず、また弘景の説に、一種葉広相似而有毛、花晩而甚赤と、〈集注本草〉いへるは、これ即今の仙翁花にて、寺島良安の説に、藤瞿麦(ふぢなでしこ)葉厚形似匙首、其花数朶、形似桔梗、面白帯紫と〈和漢三才図会〉いへば、共に今ある草なれども、真の瞿麦にはあらず、