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古今要覧稿
草木
はちす 〈はす 蓮〉はちすは古名にして、はすは通称なり、古事記おはじめ、日本書紀、続日本紀、三代実録、延喜式、万葉集、菅家文草の詩にも見え、本草和名、和名本草、共に藕実おはちすのみといひ、和名類聚抄〈蓏類〉に、蓮子はちすのみと出し、亦蓮類お出して、芙蕖、爾雅にいふ荷は芙蕖、郭璞注雲、芙蓉江東呼て荷となす、藕ははちすのね、その本は、密ははちすのはひ注にいふ、茎下の白蒻泥中にあるものなり、茄ははすのくき、其葉は〓注にいふ、〓また荷の字なり、其華は莟萏兼名苑にいふ蓮花、すでに開くお芙蕖といふ、またのびざるお莟萏といふ、其子は蓮、其中は的、注に蓮は房おいふなり、的は蓮中の子なり、〈以上爾雅、兼名苑、〉亦多識篇にも詳なり、神農本経上品の薬なり、本草綱目〈水蓏類〉にも載す、はちすは和名抄に爾雅お引ていふごとく、茎葉花実根共に各名お異にすれども、実の名なる蓮お通称として、本草にも、蓮藕となし、日本紀、続日本紀、三代実録、万葉集、菅家文草にも蓮葉また蓮荷おはちすと訓じ、西土にても周茂叔が愛蓮説、恵遠が白連社詩にも採蓮曲といひ、観経阿弥陀経にも池中蓮華、大如車輪と見えたり、詩の鄭風には湿有荷葉、また陳風に有蒲与〓荷、また有蒲莟萏といへり、凡てはちすは立夏より漸く浮葉お生ず、初めて出る小なる浮葉おぜにばといふ、漢名お荷銭といへり、詩にも荷葉、初浮水上銭、蓮葉出水大如銭などいへり、夫より大なる浮葉お生ずるおみづはといひ、是お漢名藕荷といふ、夫より立葉お出す、是お漢名芰荷といへり、たちは生ずれば莟お出して、早きは小暑より聞きて大暑お盛とす、故に張秋穀も消夏三友の一となせり、此三友は蓮花、素心蘭、梔子花なり、蓮花は小暑より開きて、大暑立秋処暑迄は盛にして、おくるヽは白露に至れり、浮葉立葉も追々に生ずる故、七月魂祭の比にもみのりたる実あり、又未だ開かざる莟も多し、是にて盛の久しきはしらるヽなり、又是よりおくるヽものも多し、又歌には葉お詠ぜし事多く、花およめるは希なり、万葉集にもはちす葉にたまれる水の玉に似たる、また古今集にも、何かは露お玉とあざむくなどよみ、西土にても、顧仲方が百詠に露珠といひて、蓮葉に露のたまりし図有て、詩もあり、又若葉お延喜式に稚葉といへり、今もきざみ飯に煮雑へて、はすめしと呼て食す、菘飯に優りて香気有て美味なり、延喜式〈大膳〉にも、盂蘭盆供養料の供に荷葉あり、又万葉集の歌の伝記にも、備設酒食饗宴府官人等、於是饌食盛之、皆用荷葉と見えて、上古饌食おもるに用ゆ、中元には蓮葉に飯お包みて、上下共にさし鯖お添て祝ふ、今の人おほく七月霊祭の仏事の供物に備ふ類のみにして、人事には用ふることまれなり、又生葉お乾し薬用となす、又蓮の葉茎おつらね採て、葉の正中より茎に孔お明けて酒おつぎて、其茎の元より吸ふお薬なりとて、人のなす事なり、是は雞跖集に、巍の鄭公愨、夏月三伏の際に賓僚お率て、使君林において暑お避るに、大ひなる蓮葉お取て酒お盛り、簪お以葉お刺て柄と通はしめて、茎お屈輪困て象の鼻の如くして、是お傅へて各其酒お吸はしむ、これお碧筒杯と名づく、東坡が詩に、碧盌時作象鼻彎、白酒猶帯荷心苦といへり、蓮の葉は秋分よりおとろへ初めて、寒露に至れば多く枯る、蓮は寒お嫌ふ故に、芽お出すも夏の季に至らざれば生ぜず、枯るヽも諸草よりはやし、枯葉お、白楽天は詩に衰荷といひ、黄済は敗荷と作れる詩あり、花は紅色お本色となして多く紅花なれども、其中に差別ありて、深紅あり、淡紅あり、大輪あり、小輪あり、弁白くして上の紅なるあり、白色にして紅条の通りたるあり、また赤褐色にして黄お帯べるあり、これらはまヽ常の紅蓮のうちに生ぜり、また白蓮は香殊に紅に勝れり、その莟は緑色常なれども、黄お帯べるもあり、また蓮の実七月比、いまだ熟せざるお生にて食ふ、黒く熟せしも食す、これは薬用となして、蓮肉といひて脾胃お補ひ、心お清くし、中お補ひ、志お強くし、虚お補ひ損お益す、みな実の功なり、其最もちふべき実お首とし、蓮藕と称せるなるべし、蓮といふは実の総名にて、くはしくいへば蓮房といひて、実おつヽむものなり、実は蓮肉といひ、〓といふ、〓の内の青芽お〓といふ、この青芽〓のうちにさかしまに成てあり、故に実の下お切て泥中に入置ば五六日の中に芽お出し、葉お生じて、其まヽ置ても三年にして花お開く、地錦抄にも指南次第にて春植たる実生に秋花咲といへば、手入おなさば早く花お生ずべし、されば多く実お植て生じなば極めてかはりたる花お生ずべし、佐藤成裕曰、蓮子は四五十年お経たるも、上下お磨して泥中に植置ば生ぜざるはなしといへり、蓮子熱して黒くなりたるお石蓮子といふ、諸書に見えたり、用薬須知に蓮肉はすの実なり、一名石蓮肉といふ、熟するに至て〓きおいふなり、別物にあらず、近来一種漢より渡る、石蓮肉あり、真にあらず、石蓮樹実なり、蛮夷の中より出づ、何培元本草必読雲、治痢疾禁口者、石菖蒲石蓮肉、非此石蓮肉無功ことお賛す、其他清心蓮子飲等には、誤てもちふべからずといへり、又はすの根は、九月末十月に至らざれば生ぜず、五月より九月まで密蒻のみにして葉花お生ずるも、密より生ず、密蒻ともに和名はちすのはひといふ、証類本草、救荒本草等の図に、藕より花葉お出せしは誤なり、此はひの延る事、夏より九月まで従横にはひて、二三間にも及ぶあり、このはひに節ありて葉花お生じ、末秋に至りてはひの止りに藕お生ず、故に藕お堀るは冬より初む、今七月比新蓮根とて出す、此小なるは作りばすとて花葉お去り、其精気お泥中のはひに持せて、小根お生ずる也、和訓栞にはちすのはひ、和名抄に密お訓ぜり、はひは延の義なるべし雲々、延喜式に荷葉七十枚、波斐四把半と見ゆ、藕牙也と注す、後撰集に蓮葉のはひにぞ人はおもふらん世にはこひちの中に生つヽ、はひお古は食用とせし也、今にても酒肴に酢に漬て食ふ人あり、香有て美味なりと、藕も大いなるは五六尺に至る又それより小藕お生ずる枝の如し、藕は泥中より堀出せし時は、潔白にして美なり、宿お越ば色つきて小点おあらはす、藕の孔は十孔なり、猶大いなるは十孔の間にまた小孔お生じて数極りなけれども、十孔お性とす、清商も食用として藕お持来る、其藕大にして一握に過る、長さも五六尺に過、生にて食ふに味梨のごとしと、本邦にても越後にては酒肴なぞに生藕お食、味可なりといへり、風土によりて然るべし、又清人蓮肉お多く持渡り、自薬に用ひ食用ともなせり、亦藕粉も持渡れり、是蓮根お舂水飛して製せし物お、甚称美せるよし、されども其色潔白ならず、蕨の粉の如き色にして美ならず、故にこの方の葛粉におとれり、大和本草に生藕おつきくだき汁お取、水飛し陰乾し、餅団子とすといへり、亦花も蕊も用ゆれども、花はゆひき熟し水に浸し置ても澀みあり、葩こはければ食用とはなし難しと、亦その房も食する事、致富全書、冬服食方に、蓮房取嫩者、去皮子并蒂、入灰煮、又以清水煮、去灰味、同蕉脯法焙石圧令扁作片食之といへば蓮房も用ゆべし、亦はちすの糸お用ひて、物お作りし事は、西土には見えざれども、中将姫の蓮の糸にて織し曼荼羅といへるは、大和国当麻寺の什物にて、人皆知所なり、亦成形図説にも、寛政の比蓮布お製せるよし見えたり、