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牡丹道しるべ

一(第一)牡丹と題に書ては、紅牡丹の事に成べきか、丹の字あかしと読ば、赤きは花の本体也、白く咲により白牡丹、紫に咲により紫牡丹とは雲めり、又紅牡丹と雲も、紫白にえらばんがためしにあれば、重言といふべきにもあらじ、本草、時珍曰、牡丹以色丹者為上、雖結子而根上生苗、故謂之牡丹とあれば、元来紅なるべし、群花品の中に、又以牡丹第一とすれば、世に花王とも称するなり、一(第二)花好人はよくはなお見知べし、されど年お追ふて国々より名花あまた出れば、中々見覚がたし、見知たるはなにても、年によりて出来不出来あれば、かたく争ふべきにあらず、或は白に染出る事肥過る故也、紅に黒み出、または薄色の様になる事も賤く肥過る故也、むざと糞しする事悪しと覚ゆ、本草に、秋冬移接以壌土、至春盛開、其状百変、故其根性殊失本真とあれば、色替り花形替事猶也、又春雨繁き年は、紅色必薄しと知べし、上花は色重実蘂形茎葉葩よくして、葩のもとに染なきお上品とす也、色は紅白ともに強く麗しく光り有およしとす、咲出る時はよきとても、早くさむるはほめず、散まで色お失はざるお第一とす、むかしの巍家の紫牡丹は、ならびなき名花なりと聞ゆ、今は紫とだに聞ば見る人なし、姚家の黄牡丹のたぐひ今ありたりとも麗しく興有べしと思ん哉、援に薄黄牡丹と名付る有、色は木棉の花に似たり、かさね薄し、或は白に紫の飛入は有物也、昔唐の明皇の時、牡丹お献ずる者有、貴妃其時おもておとヽのふるに、口脂手に有お以て華上に印す、栽しむるに来歳花開て紅の跡有、それにより一捻紅と名付給ふ、今筑陽に此名お呼あり、其類といふべし、彼韓湘子が瑠璃盆中に、碧玉の花の牡丹に似たるお咲せけるは、仙術なれば、さも有ぬべし、又宋の単父と雲し人は、種芸の術お得て、牡丹お千種に変ぜしめしかば、上皇勅して驪山に牡丹万株お植しむるに、花開て其色おの〳〵異なりしかば、是より呼て花神と称し、又花師と名づけ給しとなり、今援に紅白定めがたき花あり、爪紅粉、柿牡丹、はじもみぢ、法花、朧月、行事官など、其外も有、いづれも勝ずといへども色替りと雲、花壇の彩に間種る也、総て花に青黄赤白の四色有て、黒色はなし、いかんとなれば、黒は北方の色水にして陰也、母の道なれば、母は内にありて養ふ事おつかさどりて、外に色おあらはす事なき故成べし、世に黒牡丹といへども、牡丹のはなにてはなし、牛の異名也、昔唐土の劉訓と雲し人、繫水牛在前、指曰、此劉訓が黒牡丹也と、それよりして牛の異名なりとす、一(第三)重に四品あり、一重、八重、千重、万重也、此内八重千重お上とすべし、一重はたらず、万重はおほし、又盛上て芍薬咲矢倉咲といふは、蘂の中より細き葩出る、皆下品也、凡葩五葩より十五六に及迄お一重とし、廿葩より廿四五葩に及ぶお八重とし、それより次第におほく、百葩近きまでお千重とし、百葩以上あらば万重と知べし、重おほきはなは、木によつて綻る時、内へ雨入て蘂くさる事有、雨入ざる様にすべし、自然雨入たらば、よく其雫お落べし、吹払てもよし、一(第四)実は紅には赤き実よし、白にはしろきよし、いづれも小瓶子なりお上とす、白牡丹に青き実有、是も赤く黒くうるみたるよりはよし、紫陽より出し花に、袖の内といへる白は実真黒也、されども花色花形よきによりて上品とす、たとへば松の葉北斗紅は実裂る也、裂るは実の第一〓なれども、花の色能によつて上品とせり、九品相揃ふ事なきにより、一つ二つの難はゆるす、余は是になぞらへて知べし、実は小く破れざるおよしとす、大にして破るお嫌ふ、〈◯下略〉