[p.0272][p.0273]
農業全書
二/五穀
蚕豆〈大和に多く作るゆへ、大和豆とも雲、西国にてはたう豆と雲、〉そら豆さやの形、かいこに似たるゆへ蚕豆と名付、又は蚕の時分に熟するゆへ、かくは呼とも雲なり、百穀に先立て熟し、青き時、蒺ながら煮て菓子にもなり、又麦より先に出来るゆへ、飢饉の年取分助となる物なり、又麦と合せ飯にして宜し、又豆は多く、麦は少く粉にして、餅に作り、食するもよし、肥たる湿気地に八月初うへて、臘月厚く培ひ置て、三月中旬にぬきとるべし、又雲、蚕豆は大かたの地にはできかぬる物なり、こやしお用る事お忌と雲ならはせり、されどもよく熟し、久しくかれたる、灰こえお用るはくるしからず、八月中分に蒔てよしと知べし、種子に二色あり、江戸豆とてふとくひらめなるは味よからず、小粒にして丸きお用ゆべし、味よく取実もおほし、〈一説に、大なるが味よしと雲、然れば大なるにも二色あるにや、心み考ふべし、〉是もいや地お嫌ふ故、年にかへてうゆべし、損毛の年多くうへて飢お救ふべし、麦に先立て実るゆへなり、其利分も又麦に劣らず、畿内にて多く作る、一反に五六石も出来るものなり、取分大和国に多く作る、いりて皮おさり、茶に用ひ、粥にもしたヽめ、又みそに造るなり、又是お菜園の辺、又は花園に花がらおおきながら、其中にうへて霜おふせがせ、三月花の苗生ずる時分、ぬきとるべしといへり、是は湿気おにくむといひならはせども、水田の稲の跡におほく作ると見えたり、しかれば大かたの湿気には、さのみいたまず、却てつよくかはきたる所にはよろしからず、是下品のものといへども、農家にかくべからずとしるしおけり、〈凡畿内辺の、土地お大切にする所にて、多く作るお見れば、よく農の助となる物と見えたり、何の国にてもおほく作るべし、〉楽軒雲、上方の国々にそら豆お多く蒔事は、其利麦とひとしき故なりと思へり、しかるに去年より洛陽に寓居し、今丑の春、摂州有馬に往来し、路次にて農人の語お聞て、そら豆お多く作るゆへおしれり、たとへば麦お一町作る農夫は、其内二反或は三反余もそら豆お種る事は、其利麦にまさるゆへにはあらず、凡麦作は種付るこやしより後、段々糞お入る事猶多し、又其地こしらへ、初の耕より度々中うち、草かじめ土おほふにいたるまで、万に人でまの費ゆる事甚多し、されば其考へおよくする時は、たとへば一町の地お三反はあらして、其人でま其こやしお以て、残る七反の麦お能作り立たるは、一町お皆作りて、段々の手入あしく、其糞(こや)し不足したるよりも、麦お取事却て多し、去ながら何国にても、農人のくせにて、妄りにおほく作りちらし、其手入糞し不足すれば、甚損なる事お聞ても、隻半反も多く作るお悦ぶならひなれば、各其麦作の反数おへして、残る田畠によく功お用ひて、慥に利お得る術お勤る事なし、又そら豆は初地ごしらへお少念お入れて、種へ糞おちと加たるもよし、其後四月初引取まで、中うちこやし草かじめなども用ひず、〈もし草あらば、春になり、一度ざつとひきすつるまでにて、人力ついへず、〉さて右七段の麦に、手入およくして、糞おましぬれば、彼こやしの不足なる、一町の麦よりも取実多し、其上そら豆中分に栄たらば、三段に六石有べし、少よく出来たらば、八九石あるべし、然ば麦は多く出来、其こえ人でまお省き、其上又大分のそら豆お作出し、是お以て米の代とし、麦飯に加れば味よく、或はみそとし、又麦もちのあんに入れ、又所により、なら茶に用ひ、様々食となりて、利お得る事多し、殊に麦に先立て熟し、農人の仕舞よく、又麦より早くいでくる故、凶年には飢お助くるに便あり、此様々の徳分あるゆへ、能作人は其考おなし、そら豆お多く種て、利お得ること少からずと也、されば諸国にても、此事およく考へ、そら豆お多く作り、其余力お取て、麦およく作り立、両様の利お以て、粮米の助となすべし、そら豆は大坂に多し、種子お求むべし、