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製葛録
葛生育する土地の事葛は寒国暖国のへだてなく、山野に限らず、何れの所にも生ずといへども、平らかなる野の堅実の地なるは、根痩て粉お得る事少し、又樹木の茂れる中なるは、根肥たれども粉少し、何国にもあれ、黒土又は狐色にて軽き土の堅き悪地は、粉至て少く色も勝からず、又陰地は根細く粉も少し、陽地は根もよく粉も多しと知べし、隻樹木の希なる山の半腹、又は東南お請て日あたりよき谷間の岩石に添て生たる根宜し、夫は小さきも粉多し、譬へば木山平原の地たりとも、土性少しかろく石の多き土地にては、根よく粉多し砂ばかりの地の土肉のなきは生育せず、総て暖国より寒国の葛よろし、遠州辺にては葛粉お製せず、五月のころ蔓おとり、蒸して苧となし、繫て布に織のみなり、則掛川の産物にて葛布お商ふ家多し、総て布に織には、何れの地に生じたるも高下なく、隻続きて長きおよしとす、  堀る節葛根お堀には、冬十月葉の黄みたる時より堀始め、春正二月頃、葉の出る迄お節として堀事也、山家の農家は、麦お蒔仕廻て後、春迄の稼とする也、  葛根お堀事援に図する道具〈◯竹のおふこ、つるのはし、縄、金鍬茶筒、略図、〉お持山に入、蔓およく見極めて堀るに習ひあり、然れども至て見分がたきもの也、雌葛雄葛姨葛〈おば葛といふは、大和の土人付たる名なり、〉と三通りあり、雌雄は実あれども、姨葛には粉なし、両手にて蔓お折みれば、女男は潤あり、是根太く葛粉あり、潤ひうすきは、根も痩て粉少しと知べし、堀には根お鍬にて切かヽざるやうに、脇より土おかきのけて堀べし、又堀に心得あり、葛根の蔓付の所より太きは粉なし、細く自然に中太くあるは粉あり、又粉のなき根のつる続に、粉のある根有もの也、又根に少し鎌お入て見れば、粉のあるは白き乳汁のごときもの出る也、粉なきは出ず、深山谷間抔にて、堀時は、かまひなけれども、若堀所の下は、往還か住家にてもある処にて堀に、其根のさし入たる上に、大きなる石などあるは、多く其石お堀起して外へこかし、根お堀取事あり、其石お心なくこかし落す時は、往来おふさぎ人家おそこなふ事あり、其折には石の入べき程の穴お堀りて、其穴の中へ石おこかし入べし、葛は農家の夫食(ぶじき)、又は飢饉の時、専ら掘ものなれば、九州にては其処により、人の持山他村の野山たりとも、葛お堀にはとがむる者なし、又堀たる跡は其儘にて、少々畑中に石お堀いるれども、作物に害なければ咎る事なし、淳朴の風俗尊ぶべし、中国畿内辺にては、他領他村に入て堀事お禁ずるよし、其国処にて定法あるべし、〈◯中略〉堀取たる跡にて、葛根の茎付に、根弐三寸程づヽ付其跡へ残し植置ば、又三年目には元の大きさの根に成長するものなり、此三年目のものお第一よろしきものとす、〈幾年立たる根にても、葛粉は同じ事也、根の太きは赤子位なるものあり、大き成程正味多し、又伊豆の深山にては、五寸廻りぐらいなる蔓あるよしぎけり、是は上古より堀たる事なければ、定て人身位の根あるべし、〉葛の蔓は蕃薯〈一名甘藷、和名薩摩いも、又りうきういも、九州にてはたういもと雲処あり、〉同様にて、根に近き方の蔓の節お二ふし込て切、少し湿気の土に蔓の節おさし置ば、節より根お生じて追々下へさし入、三四年目には堀取やうに成もの也、又葛の実おとり蒔て、苗お拵へ種るも佳なり、先苗床おこしらへ、糞水お打乾かし置、鍬にて土お和らげ実お蒔、上より砂土おふりかけ置ば、追々芽お出し、一寸位に伸出たるお、よく見れば二葉あり、又一葉あり、一葉は雄、二葉は雌と見分る也、最早一尺にも伸ては雌雄甚見分がたし雌の方実多し、根お堀らざる所にても、草ある処の野山には蔓お植置、其葉お刈て牛馬の飼とするなり、好て喰ふ事大豆の葉に同じ、又肥しにもなり、山人は葉お木の葉に交てきざみ、干て煙草のかはりに呑事とぞ、蔓は刈て葛布に製し、心はさらして葛簏(ふぢごり)とす、誠に少しもすたれる事なく、可尊(めててき)有益のもの也、