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伊勢物語

昔おとろへたる家に、藤の花うへたる人有けけり、弥生のつごもりに、その日雨そぼぶるに、人の許へ、折て奉らすとてよめる、ぬれつヽぞしいて折つるとしの内に春はいくかもあらじと思へば昔左兵衛督なりける在原行平といふありけり、その人の家によきさけ有と聞て、うへに有ける左中弁ふぢはらのまさちかといふおなん、まらうどざねにて、その日はあるじまうけしたりける、なさけある人にて、かめに花おさせり、其花の中にあやしき藤の花ありけり、花のしなひ三尺六寸計なん有ける、それお題にてよむ、よみはてがたに、あるじのはらからなるあるじし給ふと聞てきたりければ、とらへてよませける、もとより歌のことはしらざりければ、すまひけれど、しいて読せければかくなん、 咲花のしたにかくるヽ人おほみありしにまさる藤のかげかも、などかくしもよむといひければ、おほきおとヾの、栄花のさかりにみまそかりて、藤氏のことにさかゆるお思ひて、よめるとなんいひける、皆人そしらずなりにけり、