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円珠庵雑記
はぎに二つあり、榛と萩となり、榛ははりの木といふお、俗にはんの木といふ、それおはぎといふは、針の木といふべきお、りもじ〈真淵雲、りもじお略すといふは、書きたる所お見ていはんはさも有るべし、こヽはかヽでもいふなれば、りの言お略せりと書くべきなり、総て後人ことばといふべき所お、もじと書ける多し誤なり、〉お略せるなり、山のきし、川みぞのあたりにおほき物なり、其皮おとりて物お染るお、はんの木染といふ、日本紀、日本後紀等に、蓁摺衣といへるも是なり、神楽歌にもさいばりに衣はすらんとよめり、今はよき人のきぬなど染むることは聞えず、山里には、猶用ふるなり、万葉第七に、寄木とて、此榛およめり、然るに、萩にもまた萩が花ずりとよめば、いよ〳〵人まどへり、遠里おのヽ真榛もて、又白菅の真野の榛原とよめるは萩、にはあらぬお、ふるくより萩とのみおもへり、よく〳〵万葉お見て、わきまふべし、真淵((頭書))雲、万葉にも史にも、榛とも芽子とも書けるに付けて、此人はこの説お常書きたれど、なづめる説なり、万葉に寄木とて、歌は萩およめるも有り、又榛と書きて、必萩なる歌あり、よくみざる故に偏論おなせり、いにしへの摺衣には、草木の花実など即色あるものお以て、まだらに摺りたりとみゆ、榛の木の皮お以ては、直にすりがたかるべし、煮汁もてすらば、するべけれど、さ様にするは、今少し後のわざなり、よく万葉の歌おみるべし、字に泥むべからず、宣長雲、雲ざままぎらはしきことあり、草のはぎと雲へるは、萩のこと、木のはぎと雲へるは、波理のことなり、是まぎらはし、其故は萩に草なると、木なると二種ありて、顕昭が榛と雲へるは、木なる萩のことにて、榛おそれに当てたるは誤なれど、契沖なほこれお波岐と訓お木のはぎと雲へるは、かの木なる萩の如くにも聞えて、まぎらはしきなり、榛と書けるは波理の木にして、萩には非ず、但波理おも波岐とも雲ひしことはありしか知らず、もし波岐とも雲ひしことあらば、契沖が雲へるごとく、波理木の略なるべし、そはいかにまれ、万葉に榛と書けるは波理なり、たとひ波岐とはよむとも、萩のことには非ず、又万葉なる榛お波岐とは訓むべきに非ず、すべて万葉によめる榛と芽子とは歌のさま異にして、よく分れたり、榛は衣に摺ることおのみよみて、花およめり、然るお師の万葉考別記に、榛おも花咲く芽子と一つなりと雲はれたるは誤なり、一の巻に、引馬野爾仁保布榛原入乱衣爾保波勢とあるも、色よくにほへる波理の木原に入り交りて、衣お摺れと雲ふことなり、三の巻に、往左来左君社見良目とあるも榛木お見むと雲ふにはあらず、真野之榛原のすべて地お見むと雲へるなり、此上ある歌に猪名野者見せつ、角松原何時しか見せむとある類なり、榛お萩の花のこととな思ひまがへそ、十四の巻に、伊可保呂乃、蘇比乃波里波良、和我吉奴爾、都伎与良之母与雲々、一の巻に、狭野榛能、衣爾著成、此など、衣に著ると雲へる趣同じきお以ても、榛は波理と訓むべきことお知るべし、さて又榛の字おさに双べて、蓁とも書けるに、つくおなほ萩ならむかと疑ふ人もあるべけれども、蓁は榛と字の通ふお以て、通はし書けるのみなり、