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萩花集説
はぎの和名、異称頗る多し、波疑(はぎ)〈万葉集〉波義(はぎ)、〈同〉芽子(はぎ)、〈同〉芳宜、〈続日本後紀〉芽子花〈和名抄、漢語抄、〉初日草、〈同〉野守草、〈同〉古枝草、〈同〉秋犀草、〈同〉紅染草、〈同〉月見草、〈藻塩草〉水かけぐさ、〈同〉鹿鳴草(しかなきぐさ)〈古歌〉等なり、又漢名は、天竺花、〈西湖志〉胡枝子、〈救荒本草〉随軍茶、〈同〉観音菊、〈百菊集譜〉和血丹〈植物名物図考〉といふ、古来萩の字お仮用するは、字形の会意にして、秋草の較著なるものなれば、恰もつばきに椿の字お用ゆるが如し、赭鞭家の説には、萩はかはらは主こ、又あられぎくにして、別物なり、而るに中山伝信録にも萩の字お用ひ、又周皇琉球国史略に、萩は、枝条繊弱如柳、小葉如楡、亦作品字、九月開花、葉間遍満紫艶如扁豆花形とあるは、実にはぎにして、沖縄は固より本邦の物名お大約通用し異ならざるなり、一萩花の類鮮からず、常品及び若干種お左に掲げ、参観に便す、通常の品は、諸国山野自生多くして、山萩野萩と雲ふ、又人家園庭にも亦多く栽ゆるものにして、春月宿根より萌芽し、又奮幹よりも新枝お出し、楕円品字形おなし、秋月茎高さ六七尺、枝お分ち窈姚として、葉間花お著く、紅紫美にして最愛すべし、早く咲くお花戸にて夏萩と雲、又一種白萩は淡雅亦賞すべし、紫白相交り咲は更紗(さらさ)萩なり、木萩は葉狭く小にして、其幹年々枯れずして枝葉お出し、小さき花咲くものにして、即宮城野萩也、宮城野は、古来萩の名所にして、此萩小はぎとも雲ふ、古歌に、小萩のすえやちしほなるらん、と詠ぜしものなり、又仙台の人の話に、宮城野と雲ふは、今の仙台市街より東、山榴岡(つ主じがおか)の東南に渉り、漠然たる壙野なりしが、先年より追々開墾し田畝となりたり、又旧藩諸邸の庭際には、宮城野萩の植へ残りたる者もありて、頗る大株となりて、旧幹より萌芽し、花お著くとぞ、又近世、仙台本荒と呼ぶ所あり、この町内の某邸内には、頗る巨大のものもありと、是即ち木萩にして、諸国山中に産し、常州筑波山、又信州にも多し、こめはぎ〈濃州〉ちやうはぎ〈勢州〉等の方言もあり、又大萩から萩とも雲、旧幹より毎歳枝上に花お著るれば、秋萩の古枝に咲けると、古歌に亦詠じ、或山民は、弓などにも作るなり、宮城野産も同種なり、其幹頗る高く、花は稍小さく、幹の本は疎なれば、もとあらの小萩とも雲ふとぞ、今世上にて宮城野萩と呼ぶは、紫色、薄紫又紫白、交り等共に眺めよく、枝も長く垂れ、窈姚として亦愛すべき者多し、花戸にては、就中その紫艶最美なるお撰て、真の宮城野種なり抔と雲囃し売るもの也、其枝細くして糸の如くなるお、乱れ萩と呼ぶ、