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甲州葡萄栽培法

第一章 甲州地方葡萄樹繁殖来歴 夫れ葡萄の我国中に蔓延したる所の初めお謝するに、未だ悉く其由来する所の地方、及び其経歴する所の年度お詳にすること能はずと雖も、〈◯中略〉文治二年後鳥羽天皇の御宇に当り、甲斐国八代郡祝村〈旧上岩崎村〉に属せる所の、入会山中に一場地あり、里人之お字して城の平と称ふ、往古より此に石尊宮の祠お安じ、毎年三月二十七日お以て之お祭るお例とし、遠近の里人相群賽せり、就中雨宮勘解由〈現今雨宮作左衛門の先祖なり〉と雲へる者あり、固より其村人たるお以て、是歳も亦此に来り賽するに会せしが、偶其路傍に一種自生の蔓生植物あるお発見し、即ち衆に視し雲く、此植物は山中に於て未だ曾て見ざるの物にして、又人の之れ有るお語るものなかりしは、亦真に奇ならずや、案ずるに其茎蔓及び皮葉の形状は、大に尋常の山葡萄と異なる所あるも、又他の之に類似するものなし、蓋し其一種の変生したるものならんか、若し我思想の如くにして美果お得ることあらば、即ち是れ尊宮の賜にして、永く祭資に供するに足るものと雲ふ可し、故に今衆と相議り、之お我が園中に移植し、以て其生長お試みんとすと、然るに衆皆之お疑ひ敢て其可否お雲ふ者なし、是に於て同氏は愛物の情更に奮て已まざれば、遂に之お城正寺の家園に移植し、務めて之お培養すること、恰も慈母の咳嬰お鞠育するが如く、専ら其結果の秋に至るお待しとぞ(是お甲州に於て葡萄お栽培するの第一期とす、此縁由あるお以て、今尚ほ土人等、城の平の葡萄始生地お呼て取苗代(となへしろ)と雲ひ、城正寺の雨宮お以て栽培家の首祖とするに至る、