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庖厨備用倭名本草
一/質疑
葵 倭名抄にあふひ、園菜部に載たり、多識篇にこあふひ、古人は種て常に食す、故に旧本草には菜部に載たり、今人は食するものなく、亦種るものなし、郊野に自生す、故に本草綱目には、菜部より移して湿草部に入たり、元升〈◯向井〉曰、葵菜おあふひと雲、こあふひと雲は、穏当ならず、此は是ふきなるべし、あふひは本草に蜀葵と雲もの也、其説分明にして眼前にあふひおみるが如し、然ば今雲あふひは葵にあらざること分明也、吾人古にはふきおあふひと雲けるにや、倭名抄園菜部に入て食物とす、然ども虂葵お同部に入て、和名おふヾきと雲葵菜おあふひといへば二種とせり、本草には葵菜と虂葵と一種二名也、異物に非ず、今経伝本草の諸説お挙て、左に弁之、本草釈名一名虂葵、李時珍曰、按爾雅翼雲、葵者揆也、葵葉傾日不使照其根、乃智以揆之也、古人採葵必待露解、故曰虂葵、詩菜菽雲、楽隻君子、天子葵之、注雲葵揆也、左伝雲、鮑荘子之智不如葵、葵猶能衛其足、巍曹植表雲、葵藿之傾葉、太陽雖不囘光、然向之者誠也、元升曰、此諸説は皆葵葉の大にして、数葉相並連て、日光に其根お照しめざるお雲、是皆ふきお指て雲に似たり、ふきとつわとは幹身なし、其葉は数茎根下より生出し、直上して茎頭に円葉お開く、大にして広し、数葉並綴て上に覆ひ、日影おもらさず、故に其根お日光の照すことなし、此外の諸葵は葉大なりといへども、皆幹枝に生ず、故に其根お覆はずして、日影よく其根お照す、是知る葵菜はふきお指て雲べし、左伝爾雅翼曹植表証すべきもの也、〈◯下略〉