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農業全書
六/三草
木綿(きわた)木綿は、古は唐にもなかりしお、近古宋朝の時分、南蛮より種子お取来りて後もろこしにひろまり、本朝にも百年以前其たねお伝へ来りて、今普く広まれり、南北東西いづれの地にても宜しからずと雲事なし、其中に付て、河内、和泉、摂津、播磨、備後、凡土地肥饒なる所、是おうへて甚利潤あり、故に五穀おさしおきても、是お多く作るところあり、〈◯中略〉先種子おえらぶ事専一なり、其たね色々ある中に、白花のかぐら、黄花のかぐら、是すぐれたるたねなり、又紅葉わたとて、楓の葉のごとくなるあり、是又花黄白の二色あり、又赤わたの大ごくびと雲もあり、又ちんこなどゝ雲、何れもよきたねなり、此等のたねは桃のつく事、葉の数とひとしく、枝また葉の出べき所より、蝶と雲て、つぼみ付て、〓子は小さく、くり粉殊に多し、かくのごとく種子によりて、実のり甚多少あれば、能たねおえらびて求め作るべし、但其土地によりて、取分相応ある事なれば、其考おもよくすべし、又赤わたののらと雲て、昔唐より来るたねあり、是はさかへやすくよくふとる物なれど、桃すくなくくりこ少し、但糸はつよき物なり、糸のつよきお好むものは、是おも作るべし、又山城の麻わたとて、あさの葉に似たるあり、是も又よきたねなり、雑種色々多しといへども、利分勝れたるは、此等に限れり〈◯中略〉うゆる時分は、八十八夜お五六日見かけて蒔お上時とし、八十八夜過て、やがて蒔お中時とし、それより段々勝手次第に、一日も早きにしかず、夏至〈五月の中〉の廿日前までは蒔てもくるしからず、晩うへも木はさかゆれども桃少し、秋の日よはくなりては、末のもゝふききらず、且大風又は秋雨つゞく事ありても、早きは大かたのがるゝ物なり、蒔てすき間なく糞(こや)し、手入お用れば、七月中にはや本吹はする物なり、同く種る地の事、さのみ肥たる深き柔かなるお好まず、さかへ過れば又桃付ぬものなり、仮令付ても落安し、とかく沙少雑りて、性よく強き中分の地に、よき糞お多く用ひ、手入お委しくしたるが、利分多き物なり、すべて何土にてもあれ、湿気はよくもれて、旱に水お引便りある所は、山中など霧ふかき地お除ては、凡木綿の作られざる地は希なる物なり、山城、大和の山内にて、よく出来るお以てしるべし、なお又海辺河ばたなどの、風のよく吹通りて、日当のよき所は、勝れて木綿によろしき物なり、又年々相つゞきて同所に作る事はいむ物なり、一両年若は三年までは作るべし、田の地味おえらび、木わたお作れば、一両年は取実過分にありて虫も付ず、其外くせも付ぬ物なり、其後又稲お作れば、地気新にして、必二年ばかりの取実はあるものなり、草も生ず、糞も多く入ずして利潤多し、〈◯中略〉同くたねの分量の事、一段の畠、凡二貫目一貫五百目にても、地の肥瘠と、きり虫の考へして、難もなく肥たる地ならば、さのみ多くは蒔べからず、たねお水にひたし、灰おふりもみ合せ、一粒づゝばら〳〵となりたるお、手籠に入れ、左の手にさげ、或わきにはさみ、先筋おかき置て、かたよりなくばらりとまき、種子おほひ四五分ばかりして、上おかるく蹈付べし、たねお土と思ひ合すべきためなり、但しめりたる埴土おば践べからず、中より下の地ならば、下に灰糞おしき、其外肌ごえおも入べし、肥たるに肌ごえは入るに及ばず、猶雨気に蒔べからず、若又うゆべき時分に旱せば、水おそゝぎしめして蒔もよし、〈◯下略〉