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庖厨備用倭名本草
一/質疑
菫菜 倭名抄にすみれ、多識篇野せり、元升〈◯向井〉曰、今人皆駒引(こまひき)草おすみれと雲、こまひき草は俗に雲すまふとり草也、然にすみれは、古人つみとりて春の菜茹にす、春野に生ず、古人は春日に野に出てすみれおつむ、其花紫にして可愛、古歌に、打むれて菫つみにと来われぞ野おなつかしみ一夜ねにける、又よく荒野に生ずるなるべし、古歌に、昔みしいもが垣ねはあれにけりつばなまじりの菫のみして、今雲すまふとり草は、食する人なし、其花も愛すべき形色にもあらず、歌によみなつかしむべき花にも、菜にもあらず、古人の愛せし菫はすまふとり草にはあらざるべし、又西国民間え雲すみれは、茎葉根ともに水仙胡蒜に似たり、三四月麦未熟以前に根お堀取り、蒸熟して食す、春日民家の糧にし飢お救ふ、根の形は胡蒜に似て白し、蒸熟すれば蜜色の如し、其甘きことは糖蜜の如し、農家に是に麦麨おかけて食す、其花色赤くしてまんじゆしやけの如し、やヽ愛すべき形色也、然れども其茎葉お食ものなし、是も古人題詠のすみれと雲がたし、爾雅雲、齧苦菫、註雲、今菫葵也、葉似柳、子如米、勺食之滑、疏雲、齧一名苦菫、可食之菜也、唐本草註雲、此菜野生非人所〓種、俗雲、菫菜葉似蕺花紫色者、本草雲、味甘、此雲苦者、古人語倒猶甘草謂之大苦也、元升曰、此説おみていよ〳〵明けし、すまふとり草は菫菜にあらず、又西国民間に食するも菫菜にあらず、菫菜は野菜類也、今はすみれお知人なし、名不正して物不従ついに食物の用おなさず、一物徒生の物となる可惜也、能識人是お正して、真菫お証出すべし、