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大和本草
八/水草
荇 関雎の詩に詠ぜる荇菜是なり、又荇と雲、其葉は馬蹄に似たり、又よく睡蓮に似たり、葉の形蓴菜の如くにして、其端分る事睡蓮の如し、蓴菜の葉切れざるに異なり、葉水面にうかぶ、単の黄花お開く、茎根長し、花も水面にうかぶ、江州唐崎の水中に多し、荇菜おあさヾと訓ずるは誤なるべし、あさヾはかはほねに似たる水草なり、あさヾは根あらはる、荇菜は根あらはれず、蓴菜に似たり、〈◯中略〉あさヾ 池沼の中に生ず、葉も花も萍蓬草に似て別なり、萍蓬草は茎つよくして、水上に立のぼり、根地上にあらはる、あさヾは茎かうほねより長く、水中に横たはりてよはく、葉は水面にうかび、水上に不上、花の形色はかうほねに似たり、五六月水面に黄花おひらく、新六帖光俊の歌に雲、見れば又あさざおふてふ沢水のそこの心の根おぞあらはす、是あさヾの根のあらはるヽおいへり、荇菜おあさヾと訓ずるは誤なり、荇菜は根あらはれず、又古歌に水まさる沼のあさヾのうきてのみあるは有ともなき我身哉、これあさヾの水にうかべる事おいへり、かうほねの葉は水上に立のぼりて、水面にうかばず、荇菜おあさヾと訓じ、萍蓬おあさヽと雲は皆非なり、