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古今要覧稿
草木
いよかづら(○○○○○) 〈藍漆〉いよかづら、一名からすのひるつるは、漢名お藍漆一名藍藤といふ、これ即唐本草にいはゆる白前の一種にして、その苗春宿根より生じて、蔓おなし、小樹おまとふ、葉の形頗る女青に似て、稍長く両々相対し、秋に至れば、その梢葉の間に小叉枝おわかちて、徐長卿に似たる五弁の紫黒花お開き、後細長角お結ぶ、また徐長卿角の如し、其根は数条簇生し、状細辛に似てやヽ粗にして且長し、扠藍漆は古より今に至て、其種何物たる事おしるものなかりしに、今以て藍藤となすものは、東医宝鑑に、藍藤根処々有之、根如細辛、即今藍漆也、性温味辛無毒、主上気冷嗽煮服之といへるは、本草拾遺に、藍藤生新羅国、根如細辛、味辛無毒、主冷気咳嗽煮汁服といへる、両説符節お合せたるが如くなるによりて也、されば藍漆藍藤は即一物なる事明かなりといへども、天平のむかし、出雲国意宇郡島根郡以下の五郡に産し、延喜の比に、伊勢尾張以下の二十八箇国より貢せし、その草木はいかなる物なるべきか、さらにわきまへざりしが、此比千金方薬注お読みて、漸くに明白になりしなり、白前の一種いよかづらとなすものは、唐本草に白前葉似柳、或似芫花、苗高尺許、生洲渚沙磧之上、根長於細辛、味甘、俗以酒漬服主上気、不生近道、俗名石藍、又名嗽薬、今用蔓生者味苦非真也、〈按に藍漆藍藤は既に味辛とみへたるに、こヽに蔓生のもの味苦といふ時は、其物の異なるやうにもおもはるれど、これは風土によりて、その味のたがひはある事にて、こヽには白前味甘とみえたれども、薬性論には白前味辛といへるたぐひ也、〉といへるによりて也、〈◯中略〉釈名いよかづら〈本草綱目啓蒙〉按にかづらは即葛蔓の義なれども、いよの義未だ詳ならず、 からすのひるつる、〈同上〉按にひるの義いまだ詳ならず、 藍漆、〈範注方東医宝鑑、出雲風土記、延喜式、〉按に藍漆は蓋しその葉青くして、光沢あるによりて、その名お得しなるべし、又唐本草に白前の一名お石藍といひしも、即石藍漆の省呼にして、石は唐本草に、生沙磧上義なり、その磧は説文に、水堵有石者とみへたるにて、その義は推はからる、 藍藤、〈本草拾遺、東医宝鑑、〉名義字のごとし、