[p.0524]
梅園日記

夢茄子一富士、二鷹、三茄子とて、これらお夢に見るお吉徴とす、その子細おしらず、笈雉随筆に、或人いふ、この三事、夢の判にあらず、皆駿州の名産の次第おいふ事なり、富士はさらなり、二鷹は富士より出る鷹は、唐種にて良なり、こまかへりと雲、三茄子は此国第一に早く出す所の名産なりとみえたり、しかるに唐土にては、茄子お夢に見る事お忌なり、宋の楼鑰が攻〓集〈七十二〉に、劉允叔夢茄子、而作舎萌題其後して雲、退之送窮而延上坐、子厚乞巧而甘抱拙、若允叔之舎萌、則真駆之、雖未能絶紫瓜之生、畏君之詞、自爾当不復敢入吾夢矣、然此種一名不落、彼夢満甑三顆、不妨甲科釈褐者、殆以此、又似不必力駆〓之也、為書其後、以壮昆季西上之気、〈舎萌は周礼占夢に、舎萌于四方、以贈悪夢、注に玄謂、舎読為釈、舎萌、猶釈菜也、萌菜始生也、贈送也、釈文に、萌芒耕反とあり、〉西湖遊覧志余二十二、〈委〓叢談〉紹興二年、両浙進士、類試於臨安、湖州談義謁上天竺観音、祈夢、夢人以二楪貯六茄為餽、悪之、蓋杭人以茄為落蘇、而応試者、以落蘇為下第也、