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二物考
馬鈴薯〈和名じやがたらいも(○○○○○○○)、甲州いも(○○○○)、ちヽぶいも(○○○○○)、あつぷら(○○○○)、清大夫いも(○○○○○)、八升いも(○○○○)、かつねんいも(○○○○○○)、じゆみよういも(○○○○○○○)、ていぞういも(○○○○○○)、蘭名あーるど、あつぷる、〉此薯も又其伝る所お詳にせず、甲信等には古く伝はりて播殖すと雲ふ、蓋しぢやがたら芋、又あつぷら〈奥地の方言なり、按ずるに此はあーるど、あつぷるの略言なり、〉の称名に因て之お考るに、此は蘭人の齎来して種お伝ふるなり、蘭書に質するに、此薯は元来西印度に産せり、而して、払郎察(ふらんす)人及漢厄利亜(あんげりあ)人之お得て播殖し、其後之お和蘭地方に伝たりと雲ふ、又此薯、亜墨利加州に甚だ多し、西洋より此に遷る者、常に之お以て糧と為すと雲ふ、然らば則此は其始は西印度及び亜墨利加に産するなり、而して西洋紀元千六百年の後、〈今丙申の歳(天保七年)に先だつこと二百有余年なり〉和蘭始めて之お播殖し、今に及んでは専ら其糧食となすと雲ふ、林那斯(りんなうす)〈上に詳かにす〉の書に、此薯の三益お挙ぐ、其一は、砂土石田穀類熟せざる地に、好んで蕃茂するなり、其二は、烈風暴雨久霖に逢ふて害お受けざるなり、其三、蕃殖容易にして、人力お労することなしと雲ふ、其他寸地に耕し、尺地の〓あり、故に又八升芋の名あり、誠に以て荒年の善糧と雲ふべし、