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還魂紙料

江戸酸漿案内者〈寛文二年印本中川喜雲著〉四の巻、七月七日東西本願寺の花、東西ともに対面所の檐に立らる、造物籠にさす、〈◯中略〉近年は江戸酸漿子とて、七月に色のあかきおもとめ出して、よき綵色の物とすといふ事あり、寛文の初に近年といへば、此江戸ほヽづきは万治のころよりありし物歟、俳諧毛吹草〈寛永十五年撰〉の季寄八月の条に、鬼灯〈青ほヽづきは夏なり〉とあり、案内者にいふところお見れば、七月に色づく鬼灯は万治前はなかりしなるべし、江戸新道〈延宝六年印本言水撰〉 里の子やすえに吹らん江戸鬼灯 心色 柳亭雲、此句江戸広小路には、上の五文字いかなる風とあり、〈◯中略〉いま丹波鬼灯の名おいひて、江戸鬼灯の名おいはず、今六月より色づきたる鬼灯あるは、是則江戸鬼灯歟、又いつか江戸鬼灯は絶て、丹波の国の種おもとめて、植けるもの歟、江戸酸漿の条〈◯追考〉延宝四年梅盛が著しヽ類船集に、山茨菰(ほヽづき)むかしよりありつらめど、近年江戸酸漿とて、美しく赤きあり、青ほヽづきの時分に、はや珍らしければ、もてはやす事とぞ、丹波より来る青酸漿は吹散されぬべし、肴になり、鱠にはさまれ雲々、かヽれば前にもいふごとく、いま夏より色づくは、江戸鬼灯にて、丹波の種にはあらざるなるべし、