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我衣
貞享年中迄、刻多葉粉、見世売計りにて、世利うりなし、葉烟草お調へ、手前にて刻むなり、然れども若き女中などの類は、やに深きおきらひ、刻みたばこやにて、色合きなる和らかなるお調へのみたり、元禄年中より、刻烟草せり売出る、箱図の如し、〈◯図略〉夫より宝永年中に至て、世利箱丁寧に致す、其後元文年中、神田鍋町に、協やと雲、刻多ばこや出る、十余人切子おかヽへ、かつぎ荷、六七荷出す、江戸中お売弘めたり、此時よりかつぎ荷始る、宝暦年中に至て、すべて刻たばこや、になひ箱になる、